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横綱への道!6 大和魂。

久しぶりに耳にした言葉がありました!豪栄道関が大関の伝達式で、口上した「大和魂を貫いて参ります」の言葉です。僕は何故か、涙が溢れて胸が震えました。

豪栄道関は、伝達式のあと『大和魂』について「日本人の我慢強さや潔さがこの言葉には籠っている!自分自身に必要だと思う」と説明しています。『大和魂』というと、戦争と結びつける考えもあります。それは認めたうえで、目を閉じ深呼吸をしたあとに感じたままをお伝えしたいと思います。

豪栄道関が口上した『大和魂』は先のものとは全く違う意味であり威なる大声で叫ぶ「大和魂」ではなく、日本人特有の『内に秘めたやまとごころ、大和魂』なのです。最近の日本人が失いかけている大切なものであると言っても過言ではないと思います。

『やまとごころ=大和魂』の初出は、源氏物語の女心を指しているものと、平安時代では「和魂漢才」と呼ばれています。時代背景によって使い方や意味が、履き違えられていると考えます。

言葉の意味をもう一度!冷静に、そして思い込みを外して見てみると日本人の奥底にある『蘇民将来伝説』に辿り着くのです。「ひとのこころに迷いなき道を只管行けば道は開ける」のであろうと!

大関豪栄道豪太郎関は必ずや日下開山!横綱に昇進されるとこころから願っています。

一気に駆け上がれ!豪栄道関。 


横綱への道!5

昨日は、大相撲名古屋場所も千秋楽となり、横綱白鵬の30回目の優勝で幕を閉じました。

 

カド番大関の琴奨菊が初優勝する可能性もあり、8年間!日本人力士の優勝のないまま現在まできています。(旭天鵬は帰化して日本人)何とか抜け出せないか!という思いは皆同じです。自力優勝での!ぶっちぎりでないと何故か納得できないというもどかしさがあります。琴奨菊然り、稀勢の里然りです。然し千秋楽に関脇豪栄道が、初優勝を目指す大関琴奨菊に勝てば大関に昇進させるというニュースが入り、どっちも叶えたいと考えるのは僕だけではなかったのではないかと思います。(残念)

 

結果は豪栄道の完勝で、新大関誕生となりました。結びは東正位の白鵬の技能相撲が勝り、30回の大台に乗せる優勝となり、観客から強くそしてすばらしい横綱に多くの声援と拍手が送られました。

 

勿論!僕もそのひとりです。横綱大鵬の破られることはない!とさえ言われた32回の優勝は、白鵬によって40以上に更新されることでありましょう。来場所新大関の豪栄道は、祝賀行事が多くなり大変かもしれませんが、今の『いけいけモード』を保ち続けて、初優勝に次ぎ連続優勝をし遂げる気力を静かに持っていてほしいと思います。

 

じわりじわりと!そして静かに照ノ富士と逸ノ城が豪栄道の域に近づいています。そろそろ足音が聞こえ始めて来ています。九州もしくは正月あたりに、大きな風が吹くような気がしています。


名古屋場所も終盤です。

大相撲名古屋場所も昨日から終盤戦へと移りました。本当にアッ!という間の15日間です。

 

幕内と十両の優勝は、大体「力」がハッキリとしているが為に、予測の通りになってきます。これから横綱になるであろう照ノ富士と逸ノ城の二人の四股名は、以前に挙げた通りです。今!僕が注目しているのは幕下、三段目の若手力士で、イキのいい将来の関取候補たちの相撲とその立ち居振る舞いです。ある雰囲気を持った力士は出世も早く、順調に階段を駆け上がります。

 

僕が今!気になる注目力士を挙げてみます。いや、今!でなく前から、と改めます。番付順不同!剛士、明生、堀切、力真、蘇、大波

、大原、の七力士です。^^他にも挙げたい力士はいますが、今後もこの七力士に注目しています。

 

BS NHKで午後1時から三段目上位から中継が入っていますので是非!テレビ桟敷で大相撲をご覧ください。その力士たちの中に横綱に昇進する力士がいる!いるはずです。^^

 

相撲は神道行事です。土俵を見つめ、横綱土俵入りを見るだけでも日本人として五穀豊穣と大祓が叶のだと僕は思っています。名古屋場所も終盤です!日本経済も大相撲同様に益々盛り上がってほしいと強く願っています。


国歌斉唱!君が代。

昨日は大相撲も千秋楽で、2週間もアッという間に過ぎ去ってしまいました。やはり!東の正位横綱である白鵬の強さだけが目立つというか、際立っていました。

 

十枚目の逸ノ城をはじめ、連続勝ち越しの照ノ富士など、横綱の雰囲気を何かしら持っている力士がドンドン成長しています。大関陣や関脇、小結などはより一層の稽古と精神面を鍛えてゆかねばなりません。

 

僕たちは、ここ富山からエールを送ります。『喝!前進あるのみ』

 

白鵬の29回目の優勝のあと日本中に国歌「君が代」が鳴り響きました。国技館では全員が起立し姿勢を正し、テレビ桟敷では正座をし本当に多くの方々が、『君が代斉唱』をされました。

 

単なるスポーツではない『大相撲』によって、日本の大切なこころを気づかされた。と感ずるのは、決して僕たちだけではない。などと、偉そうにも思った次第です。拝、


横綱への道!4

大関稀勢の里の綱取りをきっかけに、このブログで横綱への道!と題して書き始めましたが、今回で4回目となりました。

 

見事!初めての綱取りを手にした力士は、鶴竜力三郎(28)モンゴル出身井筒部屋でした。この鶴竜関の流暢な日本語に誰もが

日本人力士と自然に思ってしまうくらいに

感じると言います。

 

独特と言うか雰囲気を持った力士である事は間違いありません。只

今まで余り目立たなかったのが不思議なくらいです。元横綱朝青龍

の真逆的な力士と言っても良いかもしれませんね?

 

新横綱の土俵入りは雲龍型になりそうである。と聞きましたが本当は今の白鵬と日馬富士の両手を広げる型こそが雲龍型であり、右手を広げる型こそが不知火型であると聞いた事があります。

 

最近の両手を広げる型は、富山県出身の横綱太刀山峰右衛門の型であり本来であれば太刀山型である!というのです。まあ、どの型で

あっても『横綱』という地位に相応しい力士に!と願います。

 

『ひとは与えられた地位によって磨かれ、そして周りをも光り輝かせる』新横綱鶴竜力三郎関に贈る言の葉として此処に飛ばします。

 

三本の柱が立ったという慶びと共に・・・。


横綱への道!3

今日は早朝から、用水路に芝生を植付けしてから、自宅と妻の実家の雪吊りを外してきました。

 

勿論!昼食はラーメン工房さんでの五目そばを頂きました。超一杯のお客さんで凄かったです。だけどやっぱり行って良かった~!とても満足で「ごちそうさんでした」^^

 

家に帰ってからは自宅桟敷席にて大阪場所観戦です。大関鶴竜の綱取り場所ではありますが、僕は幕下時代から注目してきた力士がいます。左上の写真の左側の力士で、今場所新入幕の照ノ富士です。モンゴル人力士ですが将来の横綱になると感じています。

 

中日で2勝6敗と幕内の洗礼を受けていますが、とてつもなくその雰囲気が漂っているのです。何故か不思議なものを感じています。

 

今日の好取組の一番で、遠藤と大砂嵐がありました。然し、この一番は際どい一番であり『物言い』がついてもよいものでした。最近この様な事がいくつかあると思います。審判の親方が物言いをつけない場合、控えの力士も物言いをつけたらよろしいのです。それが白黒をつける!という事だと僕は思います。

 

今場所もあと一週間です。どの力士が声高らかに「君が代」斉唱をし、天皇賜杯にその名を刻むのか?

目が離せません!


横綱への道。2

平成26年初場所を制したのは、やはり横綱白鵬でした。大関鶴竜に敗れはしましたが決定戦において圧倒

し通算28度目の優勝でした。

 

以前の拙ブログで『横綱への道』と題して、自論をあげて横綱と大関の違いを書きましたが「然り」と言うほかはないと、改めて思った次第です。

 

番付外の前相撲から、横綱への道は始まります。その他としては今人気の遠藤や超新人の逸ノ城など、アマチュアや学生での優勝者などの特別枠の幕下付け出しがあり、実力者としてそこから横綱への道を歩むことになります。

 

今場所に横綱昇進を賭けて土俵に上がった大関稀勢の里は、まだ早いと出直しを申し渡されました。来場所は大関鶴竜が昇進を賭けて土俵に上がります。

 

千秋楽の最後に胴上げを行ない、神様にお帰り頂く神送りによって

陰陽である大関稀勢の里の出直しと、鶴竜の綱取りも上げられました。3月の大阪場所に降りて来られる神様は、どのような陰陽を表されるでしょうか?

 

左上の写真は、優勝した白鵬を祝し国歌斉唱の直後のものです。国技館内とテレビ桟敷と一体に、言い方を変えれば日本中に君が代が流れ、ひとつになった直後の瞬間なのです!(奥が深すぎかな)

 

今やエジプトやモンゴル、中国とシルクロードの旅のように日本と一本の線で結ばれた!と思っているのは僕ひとりではないと勝手に思っています。前回の『横綱への道』で掲載した、大砂嵐と遠藤の写真のように・・・・・!

 

心技体。

その地位が育むものである。

大阪場所での東大関 鶴竜力三郎の綱取りに注目です。


横綱への道。

大相撲初場所八日目を見ていて感じた事がありました。それは、横綱と

大関以下との違い!です。(礼)

 

相撲は神道行事であることは、以前に拙ブログで、恐れ多い事ですが紹介しました。

(大砂嵐と遠藤は将来の結びの一番!?)

場所後の横綱昇進を賭けて、大関稀勢の里が挑みましたが、豊ノ島

碧山、昨日の栃煌山に敗れて3敗となり、残念乍ら横綱昇進は振り出しに戻りました。

大関稀勢の里が新十両に昇進したのが17歳ではなかったかと思いますが、この時に将来の横綱になる力士だと直感したのを今もハッキリと記憶しています。ここまでの期間があまりにも長く、ヤキモキしているのは僕だけではないと思っています。

東西の横綱は白鵬に日馬富士のモンゴル勢に背負って頂いているという状況にありますが、今場所は日馬富士が怪我の為に、やむなく休場で、白鵬がひとり横綱として場所を引っ張ります。

横綱白鵬の相撲道は、日本人から見ても素晴らしく、その土俵入りは、型は違えど双葉山の土俵入りであり入魂を感じます。今現在の大相撲に喝!を入れる為に・・・!

話しを戻します。横綱と以下の力士との違いは歴然としています。それは、神とひとの違いなのです。綱を身につける資格を持つ者とそうでない者とはハッキリと分けられるのです。

横綱白鵬の立ち居振舞いを見れば、自ずと頷ける話で『堂々』として、その眼(まなこ)は、瞬きさえ少なく集中し一体となっていきますが、昇進を逸した稀勢の里は、こころが一杯一杯であるために

瞬きの回数が以上に多く、立ち合いの際の足の指に力みがあるので余裕がありません。

親方(元横綱隆の里)を亡くし、鳴門部屋から田子の浦部屋へと変わったばかりの今場所である!集中力を高める時間と余裕はなかったと推察します。

僕たちは、追い詰められた今場所ではなく、大関の眼(まなこ)が瞬きの少なく落ち着きの眼に変わった時が昇進の時だと信じています。白鵬の益々大横綱へと向かう姿を眼に焼き付けて精進し、それから横綱への道を堂々と歩んでほしいと切に願っています。 拝、