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横綱太刀山の功績

今日の北日本新聞(社会)24ページに『太刀山(呉羽出身)高砂部屋救う』「窮地打開へ弟子譲る」(朝乃山と不思議な縁)と題して大きな記事が載っていました。明治~大正期に活躍した第22代横綱太刀山峰右衛門が高砂部屋を救済しなかったら、朝乃山の四股名は生れなかったと思われるのです!以下、北日本新聞さんより引用転載させて頂きます。(転載開始)大相撲の朝乃山(富山市呉羽町出身、高砂部屋)が大関まで駆け上がることができたのは、故郷の大先輩のおかげだったのかもしれない。1911(明治44)年に第22代横綱となり11度優勝した同市呉羽地区出身の太刀山は、大正期に跡目争いが起きた高砂部屋の危機を救っていた。朝乃山が相撲を始めたのは太刀山の名が付いた道場で、出身大学は現高砂親方の母校。同郷の朝乃山と太刀山は、不思議な縁で結ばれている。

 

高砂部屋によると、部屋が創設されたのは1878(明治11)年。師匠の初代高砂の下、明治中期から後期にかけて第16代横綱の西ノ海、第17代横綱の小錦らを輩出し、角界にその名をとどろかせた。だが、1914(大正3)年に2代目高砂が亡くなった後、後継者に内定していた小錦も急逝したため、跡目争いが起きた。敗れた元関脇の綾川は、同郷の津軽出身力士たちを引き連れて出羽一門へ移籍。跡を継いだ元大関の朝潮(3代目高砂)の下には半数ほどしか力士が残らず、部屋は窮地に追い込まれた。このピンチを救ったのが太刀山だった。引退した18年に親方となって東関部屋を興した太刀山は、勝負審判を決める役員選挙に落選したことをきっかけに翌19年に角界を去った。その際、仲の良かった3代目高砂に全力士36人を託した。その中には後に大関となる太刀光がおり、太刀山の行動が部屋の復活とその後の隆盛につながった。朝乃山は、太刀山の遺族の寄付金で富山市呉羽小学校に造られた「太刀山道場」で相撲を始めた。富山商業高校から進んだ近畿大は現高砂親方の母校でもあり、高砂部屋から訪れたスカウトの目に留まった。力士同士の仲が良く、和やかな雰囲気の高砂部屋について、朝乃山は「自分に合っている」と話す。太刀山が手助けし、142年続く部屋の歴史を、朝乃山が部屋頭として受け継いでいく。「石黒航大」(転載終了)

 

本当に不思議な縁だと思います。富山の英雄!太刀山の縁があって現高砂部屋が142年の歴史を刻んでいる。そこに同郷同地区の朝乃山の登場!これはもう横綱に昇進せんといかんですよ「朝乃山関」!横綱太刀山にもう一歩近づいてください。頑張れ~朝乃山関。

 

北日本新聞の石黒航大記者!本当にすばらしい記事をありがとうございます。しっかりと胸に刻んでこれからも応援したいと思います。また富山の英雄の記事を楽しみに待っています!よろしくお願い致します。

 

柴田佳一 拝、

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