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鶴のたとえ 5

鶴のたとえは、優れたひとや人格、態度!良きもののたとえ。且つまた、行ないへの戒めとなる言葉があります。「雲間の鶴」(うんかんのつる)は、凡人よりも高く抜きん出た人格のたとえであり「鳴鶴陰に在り、その子、これに和す」(めいかくいんにあり・・・)は、立派な人物が反応し合うことのたとえ。「鶴の嘴」(つるのはし)は、男女の愛情の長いことを鶴の嘴にたとえたもの。「亀鶴の契り」(きかくのちぎり)は、千年万年の長い契り。永遠の契り。また夫婦の契りのたとえです。そして「亀の年を鶴が羨む」(かめのとしをつるがうらやむ)は、千年の寿命をもつという鶴が、寿命万年の亀を羨しがること。欲に限りのないことのたとえです。やはり、我々日本人にとって、こころに沁みる鶴のたとえ。大切にそして、しっかりとこころに刻みたいとしみじみと思う次第です。^^


鶴のたとえ 4

鶴は美しく、発する声も響き渡ります。日本人にとって吉祥の鳥であり亀とともに長命のとてもおめでたいものとして尊ばれています。「鶴のたとえ」は、とても多く存在していて意味を知ると『ふ~ん!なるほどぉ~!』と頷いてしまいます。では「延頸鶴望」(えんけいかくぼう)強く待ち焦がれること。「延頸」は首を延ばすことであり、鶴の長い首のように長く首を延ばして心待ちにするという意味で「頸を延ばして鶴望す」とも読まれます。「鶴立企佇」(かくりつきちょ)心の底から待ち望むこと。「企」は踵(かかと)を上げて、つま先で立つこと。「佇」は待ち望むこと。鶴が首を延ばして、つま先で立つ姿を人や物を待ち望んでいる様子にたとえたもの。「鶴企」と略して使うこともある言葉です。「鶏皮鶴髪」(けいひかくはつ)年老いて衰えた老人の容姿のたとえ。鶏のように張りを失った肌と鶴の羽のように白い髪の毛という意味です。「童顔鶴髪」(どうがんかくはつ)年老いても元氣な人の様子。「童顔」は子どものような幼い顔。または、子どものように色艶の良い顔のこと。「鶴髪」は鶴の羽毛のような白髪のこと。「ふ~ん!なるほどぉ~!」僕も還暦を過ぎていますので「童顔」子どものように色艶の良い顔で「鶴髪」鶴の羽毛のような白髪でありたいなあと心の底から望んでみたいと思っています。^^


鶴のたとえ 3

「鶴のたとえ」は、日本人のこころにやさしく、そして親のようにしっかりと教えてくれます。『鶴の粟を拾う如し』は、極めて少量づつのたとえであり『鶴の粟蟻の塔』は、鶴が小さな粟の実を一粒づつ啄ばみ、蟻が砂を一粒づつ積み上げて蟻塚をつくることから、少しづつ集めたり蓄えたりすることのたとえです。『鶴の脛も切るべからず』は、ものにはそれぞれ固有の性質があり、それを無理に変えようとしてはならないことのたとえ。鶴の脛は長いが、鶴にとっては必要な長さであり、切ってはならないということ。『焼け野の雉夜の鶴』は、子を思う親の愛情が深いことのたとえ。雉は巣のある野を焼かれたら、我が身の危険をも顧みず子を救おうとし、鶴は霜の降る寒い夜に翼で子を覆って暖めることからそのように言います。日本人のこころにやさしく、そしてしっかりと刻まれる鶴のたとえ。僕の胸にジ~ンと響いています!


鶴のたとえ 2

鶴の入る言葉は日本人のこころにやさしく刻まれます。清らかなものや立派なもの。こころにしっかりと刻んでおく戒めなどもあります。一琴一鶴(いっきんいっかく)は、清廉潔白な役人のこと。または旅支度がとても簡易であることのたとえであり、雲中白鶴(うんちゅうのはっかく)は、世俗を超越した、こころの清らかなひとのたとえ。白い雲のなかにいる白い鶴のことで、こころが清らかで、気高く立派な人物のたとえです。鶴鳴九皐(かくめいきゅうこう)は、世間から離れて暮らしていても、良い名声が自然と知られること。「九皐」は、山の奥深い場所にある沼沢。山奥にある沼沢で美しい鳴き声の鶴が鳴くという意味から、山の奥深くに隠居している賢者の名声は、自然と広まるということのたとえであり、鶴鳴之士(かくめいのし)は、才能や能力があっても、世の為に使われることなく世間から認められていない賢者のこと。または公職についていない賢者のこと。「鶴鳴」は鶴の鳴き声のこと。山奥に隠遁している賢者をたとえたもので、山の中から鶴の美しい鳴き声は聞こえるが、その姿を目にすることは出来ないというたとえです。頷くと共に深淵さと美しさを感じます。戒めと捉えるものとして、鶴唳風声(かくれいふうせい)は、風の音や鶴の鳴き声のような、少しのことでも驚いて、恐れ怯えることのたとえ。源平合戦俱利伽羅峠の戦いでも平維盛軍が木曾義仲軍に一気に押し出されて敗走しています。華亭鶴唳(かていかくれい)は、栄華を極めた昔のことを懐かしみ、衰退した現状を嘆くことです。戒めとしてこころに刻み、鶴寿千歳(かくじゅせんざい)かくありたいものです。これは長生きのたとえです。


鶴のたとえ

我々日本人と鶴の関係は深く、良きものの「たとえ」とされています。「鶴は千年、亀は万年」長寿と繁栄を象徴する吉祥の鳥なのです。「夫婦鶴」は、夫婦仲が良く一生連れ添うことを言い「鶏群の一鶴」は、多くの凡人のなかに一人だけ抜きん出て優れた人がいることのたとえであり「野鶴」は、仕官しないでいる人のたとえ。「閑雲野鶴」は、静かに空に浮かぶ雲と野に遊ぶ鶴のように何ものにも束縛されない悠々自適の境遇のたとえです。「掃き溜めに鶴」は、ごみ溜めのようなつまらない場所にも優れたものがあることのたとえ。「鶴の一声」は、小さな鳥が群がって鳴くより、鶴が一声鳴く方が威厳があり優れている。大勢で議論してもまとまらないときに実力者の一言で決することのたとえ。他にも「鶴の恩返し」「雲外の鶴」「折り鶴」「千羽鶴」などたくさんあります。縁起物や美しいもの、優れたもの、強きもの、日本人にとっては、こころから大切に思う鶴のたとえ。いつの日か、優れた実力者が威厳あるひと言を発し、世界中を鉛色から眩しくも神々しい光で天を照らしてほしいとこころから思います。