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駄菓子屋が道を開いた

「おはようございます」朝9:00に今日最初の患者さんが来院されたときに一枚の新聞の切り込みを手渡されました。「朝乃山関は中学生の頃から行きつけの店があったんすよ~」と続きます。さすがにただ者ではない朝乃山関!手渡されたのは2020年9月6日(日)発行の朝日新聞13スポーツ「未来ノート」‐202xの君へ‐大相撲 朝乃山 呉羽に生まれて 駄菓子屋の誘い 富山の人間山脈 恩師たちのため とあります。読み進めていくと何故か涙が出てきました。Оさん!朝乃山関の切り込み本当にありがとうございました。以下、転載させて頂きます。

 

(転載開始)

   一番弱かった でも続けた

 朝乃山(26)は小学校のとき、ハンドボールで富山県の強化選手になっている。呉羽中でもハンド部に入った。だがすぐに、「ランニングがきつくてやめた」。大きな体があだとなった。5月ごろ、相撲部の先輩たちに半ば待ちぶせされた。「一回、稽古見に来る?」。見学後は校門前の駄菓子屋へ。当時3年生の黒川宗一郎さん(28)によると、「ぼくらがいつもおるんで他の部活は入ってこない」という相撲部の行きつけのお店だった。大きなテーブルのまわりに腰掛ける。「相撲部入らんか」と誘われ、うなずいた。「ぼくひまだったんで」。入部届を手にして帰宅した。母の石橋佳美さん(57)は、「私はちょっと嫌だった。つらい思いをさせたくなかった」。他の地区からも強い子が集まる厳しい部活だと聞いていたからだ。だが、父の靖さん(63)が「やりたいって言っとんがだから、やらせたらいい」と届けに判を押した。入ってみると男子部員8人のなかで朝乃山が一番弱かった。自宅では「痛い」とこぼした。「きつくて何回もやめたかったけど、ハンドを一回やめて、そのあと相撲に入ったんで、だから次は最期までやめたくない気持ちもあった」。今度はふんばった。怖かった先輩たちに頭でぶつかっていった。ゆるみかけることも、もちろんあった。ある日、部活をさぼった。そのときには佳美さんが「ずるしたくなることがあるのもわかる。でもせっかく指導者が来て教えてくれているのにそういうことはしてほしくない」とさとした。朝乃山は3年間やりきった。今年3月、大関昇進が決まった朝乃山は「相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と口上を述べた。「愛と正義」は母校・富山商高の教育目標からとったものだが、「一生懸命」は中学時代に土俵に向かううちに口癖になった言葉だった。(内田快)

(転載終了)

 

呉羽中の前の駄菓子屋で黒川宗一郎選手(アイシン)と声を交わしたことが、今現在の朝乃山関の輝かしい道を開いたのです!運命とはこういうものなのかなあと僕は思いました。さて、いよいよ明日の13日(日)大相撲9月場所が大きな期待と共に初日を迎えます。両横綱は休場なので東大関朝乃山が頂点となって場所を引っ張ります!初日はお隣り石川の遠藤関と二日目は隆の勝関と対戦が組まれています。万全の態勢で相撲の神さまに微笑んで頂けるように『富山の令宝 朝乃山』を力いっぱい応援したいと思います。「大関朝乃山関!Ⅴ2優勝を勝ち取れぇ~っ」^^

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