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僕がウイスキーが好きなわけ。

毎夜、録画したNHK朝ドラを見て楽しんでいます。『マッサン』は、

日本のウヰスキーの父!と呼ばれた竹鶴政孝とスコットランド出身の妻

リタ夫婦をモデルにしています。

 

北日本新聞発行のまんまる1月号通巻128号より一部引用致します。

 

(一部引用転載開始)

 

  運命のスコットランド留学

広島県の酒造業の家に生まれた竹鶴政孝は学生時代から洋酒に興味を持ち、大阪の摂津酒造に入社した。やがて社長に認められ、大正

7年(1918)24歳でスコットランドに留学。グラスゴー大学に学び、蒸溜所で実地研修をして本場のウイスキー製法を体得していく。あるとき柔道の指導を頼まれ、訪ねた家で運命的にリタと出会う。リタは政孝の魅力にふれ、抱く夢を一緒に叶えたいと共に生きることを選び、周囲の反対を押し切って結婚。政孝は新妻と大正

9年(1920)に帰国。第一次大戦後の不況の中、摂津酒造はウイスキー製造を断念。政孝は辞表を出し、しばらく浪人生活を送った。その後、別の酒造会社に籍を置きウイスキー製造に貢献した。そしてついに独立し、自身が理想とするウイスキーづくりという夢を叶えるため北へ旅立った。

 

  夢を追い北海道余市町へ

北海道積丹半島の付け根、余市町。寒冷で適度な湿度があり、良質な水、ピート(泥炭)も豊富なその地で、政孝は昭和9年(1934)「大日本果汁株式会社」を設立。リンゴジュースなどを製造しながら、熟成に時間がかかるウイスキーの原酒をつくり続けた。そして昭和15年(1940)ついに第一号ウイスキーが誕生し「大日本果汁」を略して「ニッカ(日果)ウヰスキー」と命名した。終戦後の昭和24年(1949)に種類は自由販売となり、市場は模造ウイスキーで賑わった。しかし政孝は品質第一の姿勢を貫き、社員は強く結束して原酒を守りぬいた。

 

  受け継がれる品質主義

夫を「マッサン」と呼び、日本料理の名人にまでなったリタ。日本人よりも日本人らしく夫を支え、昭和36年(1961)64歳でこの世を去る。リタを失った政孝は貯蔵庫でテイスティングに没頭し、翌年選りすぐりの余市蒸溜所の原酒をブレンドした「スーパーニッカ」続いて「ハイニッカ」を発売。どちらも好評を得て「ニッカ」は全国ブランドへと成長していく。余市蒸溜所では今も石炭による直火蒸溜を行なっている。ウイスキーづくりの原点と、品質第一主義を受け継いで歩み続けるニッカ。晩年、政孝は病床でも水割りを飲み、まさに最後までウイスキーと生き、昭和54年(1979)85歳の生涯を閉じた。今は最愛の妻とともに余市蒸溜所を望む墓地に眠る。

 

(一部引用転載終了)

 

日本人より日本人らしいエリーことリタさんが亡くなって53年が経過しているのですね!?僕が生まれたのが昭和36年(1961)ですから暗算より容易いですね。それにマッサンと同じく柔道をしていたということ。^^

 

僕がウイスキーを好むのもマッサンとリタさんの意思を継いでいるのかもしれない・・・・!?「うん!きっとそうだ。そうに違いない」

 

「そんなわけないでしょ!」^^

 

  

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