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田中角栄氏「三十代大臣の弁」

1957年10月講談社刊行の雑誌『キング』に「三十代大臣の弁」という記事が掲載されました。39歳の郵政大臣田中角栄氏の貴重な言葉を今回!お伝えしたいと思います。(原文ママ)

 

 私がいわゆる「三十代大臣」になったことは、ある意味があると思っている。それはドライ派といわれる全国青少年に与える影響である。現在の社会機構は、色々の意味で、門閥とか名門学校を出ていないと、頭角を現すことが難しいと考えられている。ところが、私は門閥もなければ所謂名門の学校を卒業したわけではないが、私は「青年よ、起て!」と呼びかけたい気持ちがある。必ず、私に続いてくれる青少年のあることを信じているのである。

 

 本当を言うと、三十代で大臣になったからといって、私自身はちっとも早いとは思っていない。むしろ、もっと早くなれたはずだと考えているくらいである。何故なら、代議士は当選五回、十一年間やっている。その年数からいえば、私よりずっと後輩のひとが先に大臣になっている。・・・大体、私という人間は、自分の年齢よりおませなのである。少なくとも十歳はおませである。自分の過去を振り返ってみると、それがよくわかる。十歳の時は十五歳ぐらいの気分だった。二十代の時は三十代で、家を建てたし、七才も年上の現在の妻と結婚している。三十代では四十代で、土建会社を作ったり、長岡鉄道の社長をやったりしている。だから、現在では、四十代から五十代に近いといったほうがぴったりとする気持ちである。

 

 私には超人的な知恵や才能や力があるわけではない。只、同じ年代のひとと比べれば、少なくとも十代は早くやったというに過ぎないのである。だから、政界の仕事にしても、あと十年間くらい、全力を尽くしてやれるだけの事をやったら、あっさり辞めてしまってもいいと思っている。・・・今、大臣になったからといって、妙に力んだり張り切ったりして、これで押していけば、将来の総理になれるかなぞと考えたりはしない。そんな大器だと思っていないからである。

 

 子供の時から生き物は好きだが、その中でも馬と鯉は大好きだ。馬は父が飼っていて子供の時から乗ったものである。そんな関係で、私は競馬が好きになった。鯉は新潟で池のかい堀で、随分取ったことがある。私が政治を辞めてからの夢も話すと、この鯉を一万尾くらい飼ってみたいという事である。それからもう一つ、これも子供時分から夢見てきた事だが、ブラジルへ移住して、機械化の大農場を経営してみたいという事である。人生、死ぬまでアクセクするのが能じゃない。やる事をやったらその後は、自分の好きな事をやって余生を過ごす余裕くらいは持ちたいと思っている。

 

上の写真は自民党幹事長時代のもので、佐藤栄作政権の時2度に分けて、延べ4年1ヵ月という歴代最長記録を誇った田中角栄氏なのです。