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横綱への道。

大相撲初場所八日目を見ていて感じた事がありました。それは、横綱と

大関以下との違い!です。(礼)

 

相撲は神道行事であることは、以前に拙ブログで、恐れ多い事ですが紹介しました。

(大砂嵐と遠藤は将来の結びの一番!?)

場所後の横綱昇進を賭けて、大関稀勢の里が挑みましたが、豊ノ島

碧山、昨日の栃煌山に敗れて3敗となり、残念乍ら横綱昇進は振り出しに戻りました。

大関稀勢の里が新十両に昇進したのが17歳ではなかったかと思いますが、この時に将来の横綱になる力士だと直感したのを今もハッキリと記憶しています。ここまでの期間があまりにも長く、ヤキモキしているのは僕だけではないと思っています。

東西の横綱は白鵬に日馬富士のモンゴル勢に背負って頂いているという状況にありますが、今場所は日馬富士が怪我の為に、やむなく休場で、白鵬がひとり横綱として場所を引っ張ります。

横綱白鵬の相撲道は、日本人から見ても素晴らしく、その土俵入りは、型は違えど双葉山の土俵入りであり入魂を感じます。今現在の大相撲に喝!を入れる為に・・・!

話しを戻します。横綱と以下の力士との違いは歴然としています。それは、神とひとの違いなのです。綱を身につける資格を持つ者とそうでない者とはハッキリと分けられるのです。

横綱白鵬の立ち居振舞いを見れば、自ずと頷ける話で『堂々』として、その眼(まなこ)は、瞬きさえ少なく集中し一体となっていきますが、昇進を逸した稀勢の里は、こころが一杯一杯であるために

瞬きの回数が以上に多く、立ち合いの際の足の指に力みがあるので余裕がありません。

親方(元横綱隆の里)を亡くし、鳴門部屋から田子の浦部屋へと変わったばかりの今場所である!集中力を高める時間と余裕はなかったと推察します。

僕たちは、追い詰められた今場所ではなく、大関の眼(まなこ)が瞬きの少なく落ち着きの眼に変わった時が昇進の時だと信じています。白鵬の益々大横綱へと向かう姿を眼に焼き付けて精進し、それから横綱への道を堂々と歩んでほしいと切に願っています。 拝、

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