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木曾義仲と石黒太郎光弘

1183年源平合戦俱利伽羅峠の戦いで、木曾義仲公と共に平維盛率いる大軍勢と戦った石黒太郎光弘が1184年(寿永3年)に築城した「木舟城」です。俱利伽羅峠の戦いから1年後の築城とは、しかもこの時代に平城(平地に築かれた城)とは凄いです。以下、北日本新聞さんの「とやまお城探検隊186木舟城①高岡市」から、引用転載させて頂きます。

(引用転載開始)

木舟城は1184(寿永3)年、国人(在地の領主)の石黒太郎光弘が築城したと伝えられています。その後、石黒氏は砺波郡の有力者へと成長し、1576(天正4)年ごろには石黒成綱が越中を制圧した越後の上杉謙信の配下に入り、大きな繁栄をもたらしました。しかし、謙信が急死すると、石黒氏は織田方に寝返ったため、上杉方より木舟城を追われてしまいます。信頼を失った石黒氏は信長に近江長浜で討たれ、滅亡しました。1585(同13)年8月、木舟城に前田利家の弟・秀継が入城しますが、11月に発生した天正の大地震により城主夫妻が命を落とすなど、甚大な被害を受けます。翌年、城主だった秀継の子、利秀は今石動城(小矢部)に移り、木舟城は廃城となりました。(田上和彦・高岡市教育委員会文化財保護活用課主任)

(引用転載終了)

源平合戦俱利伽羅峠の戦いで、木曾義仲公に加勢して平維盛の大軍勢 を夜半に急襲し、怯むことなく押し出して大勝利!このことは城主石黒太郎光弘にとって、途轍もなく大きな自信となったことだろうと僕は思います。