とれたてblog

TOP > とれたてblog

獅子舞奉納!

秋の大祭獅子舞奉納を終えて帰って来ました。親方の依頼を受諾し、太鼓を打ってきました。若連中の頑張りと意気込みは僕のこころに強く響きました。親方の綺麗な声が境内に響き渡った御祝儀口上!すばらしい!!涙が出るほどの口上でした。

 

僕は、今日は雨で大変だと!テレビや新聞が騒いでいたことは知っていましたけれどやはり晴れて青空まで仰がせて頂いた事に只、ひたすら感謝の念にたえません!本当にすべてに感謝です。

 

日本人にとって最も大切なお祭り!それを執り行えることをこころからありがたく思う次第です。ありがとうございます!


秋祭り!

今日は秋祭りです。然し、本当の祭の日は9月3日なのです。2年まえから9月の第一日曜日に変更したのです。僕としては祭の期日は変更するものではないと思っています。氏神様のお祭りは好き勝手に決定したものではない!と思うからで先人というかご先祖さん

方が守ってこられた大切なこと!だと思うのです。ひと寄せなどではないのです。

 

だけれどもひとがそれぞれ違うように思いもそれぞれに違いがあっても良いのだと思います。先日の『生き仏』が言われるように道がそれたら戻れば良いんです。至極当然の言葉が胸に響きます。

 

先人が大切に守ってこられたものを我々がこころを込め包み込むように大切にしていきたいとあらためて感じた次第です。(拝)

 

追申

獅子の親方に太鼓を打て!と依頼されたので行ってきま~す。

 

 


美しい日本人の振る舞い!1

先日、妻が友人に夕食に招待され出かけました。小矢部市にある、僕に言わせれば日本!を感じる料亭である!書家である友人は、診療中の僕に気づかってくれ恐縮したところです。

 

本来なれば、着物が似合う料亭!う~ん。今は浴衣でもいいなあ!

そんなこんなで友人夫妻と妻は食事を楽しんだようです。

本当にありがとう!嬉しそうに語る妻を見て僕も嬉しかった~!

 

いろいろと楽しかった内容を聞いた後に妻がひと言!「マー君ってお箸の使い方がすっごく綺麗だった」!。書家であるから!とかではなく僕は「日本人だからだ」と、ひと言!

 

それは、日本人なれば当たり前の作法である!と、僕は思っています。もう一度、原点に戻り、きちんとした教えを伝えることなのです!僕が幼い頃は、左手でお箸を持つときつく叱られたものです!

 

あまり固いことを言うな!と、思われる方もあるかもしれません。然し!言わないと!伝えないといけない時期にあると僕のこころが思うのです。

 

大切な食べ物をお口に入れたら決して開けてはいけないし、クチャクチャと音をたてるなど、してはならない事であり教えでした。

今は、如何でしょう?

 

しっかりと日本人の美しい振る舞いを身に付ける事を大切にするならば!もっとこの国に住むひとの立ち居振る舞いが、そしてひとのこころが美しくなる!と、妻と話していて強く感じたのです。

 

押し付けでなく!

一考なれば!


お礼参りに行きました。

先日、南砺市の越中一ノ宮高瀬神社へ妻とお礼参りに行ってまいりました。先月の第62回式年遷宮お白石持行事を無事行なえました事の感謝と御礼を申し上げるべく参拝致しました。

 

天候もその日と同様に暑く、噴き出す汗がシャツに吸収されていくのを感じます。拝殿にて本殿に感謝と御礼を申し上げたところ!暑いはずが清浄な風がふたりを包み癒してくれ、おもわず目と目を合わせてしまいました。

 

参拝をしたあと事務所に伺い巫女さんと伊勢のお話をし、高瀬神社をあとにしました。あらためまして高瀬神社、神嶋神社の河合宮司お二人にはほんとうにお世話になりありがとうございました。

 

新内宮御正殿は僕の目に鮮明に焼きついています。一生忘れない!と、僕のこころがはっきりと言っています。

ほんとうに感謝です!(礼)


虫送り!

伊勢から戻った7月28日あたりから田んぼを防除する光景がよく目につきます。神宮さんの神域に入らせて頂いてからは何かしら違和感を感じることがあります。

 

ひとつをあげてみると今の時期には地元の誉建神社(ほんたけじんじゃ)にて、虫送り祭りが行なわれます。そうして氏子宅に虫送りの紙垂が配布されます。なので、虫送りの紙垂を田んぼにそえておいての防除というのは違和感というか・・?と思ってしまうのです。

 

各地で虫送りやねつ送りの行事が行なわれています。が!やはり農薬に頼りきってしまう現実!う~ん!何とかならぬものか?と、スッキリしない頭で思いを巡らせているが、スッキリとした名案が浮かばない!

 

茶道の先生にぽつりと打ち明けてみると、やはり流石である!

先生は能登のお生まれで子供のころ松明を持ち虫送りをした経験があるそうです。農薬に頼りきった現代農業を考えなおし少しでも元に戻そうとするのであれば先生は誘蛾灯!と、おっしゃいました。

 

誘蛾灯は僕の子供時代には虫を捕まえるひとつの手段でした。夜中にこっそりと出向きクワガタ虫やかぶと虫がいないか見に行くのです。大抵は上級生に先を越されているのですが・・・そんなことに真剣だったことを思い出します。

 

    誘蛾灯とは?

 

誘蛾灯(ゆうがとう)とは、光に集まる性質(走行性)をもつ昆虫を灯火で誘引する装置をいう。誘蛾灯の起源は、光源に松明(たいまつ)や篝火(かがりび)を用いて、ウンカやニカメイガを誘引して焼き殺したことにさかのぼる。時代が移り、光源は行灯(あんどん)、カンテラ灯、アセチレン灯へと進む。大正時代に入ると農村の電化が進み、光源は電球に変わる。第二次世界大戦前には、蛍光灯が一般家庭に普及する以前に誘蛾灯の光源として用いられ、戦後まもなくまで続くが、占領軍の指令や農薬の普及によって急激に減少し、誘殺を目的とした誘蛾灯は、特殊な害虫を対象とする以外は、ほとんど用いられなくなった。一方、誘蛾灯を害虫の発生状況を知ったり、発生予知に利用しようとする気運が明治時代に起こり、現在では、この目的のために広く用いられ、予察灯とよばれている。予察灯は、その年の発生状況の把握と発生予知のための長期間のデータ蓄積とを目的とし、都道府県の病害虫防除所によって、害虫の発生期間中、日別に調査されている。予察灯の光源は対象作物や害虫によって異なり、高圧水銀灯、青色・白色蛍光灯、ブラックライトなどが用いられているが、一般作物では60ワット白熱灯を用いることが規定されている。誘蛾灯には水盤に油を滴らして殺虫する湿式と、殺虫箱を用いる乾式とがあるが、現在の予察灯は乾式と規定され、光源 ロート、殺虫箱とで構成されている。        (執筆者:岸野賢一さんより引用) 

 

 

現在は予察灯というらしいが、田んぼ一面に農薬を散布するよりいいのではないか!と、僕は思います。少しでも進むのではなく、ほんの少しだけでも昔の農業に戻し、これからを担う子供達に安心安全といえる食を継承させることが出来れば!と強く思うのです。

 

妻の実家でお米を作るようになり日本人の主食を見つめ直すようになりました。伊勢から戻ってから虫送りのことや防除などを見て思うこと気になっていることを書いてみた次第です。


伊勢神宮より戻りました。2

 

お白石が見えてきました!ひとりにひとつのお白石を白い布の上にのせ受け取りを済ませました。丁寧に包み込み大事に胸の前に持ち、前にすすみます。途中で宮司さんからお祓いを受けます。ひたすら内宮の新しい御正殿を目指して前にすすみます。

 

新宮御正殿前の石段をゆっくりとすすみ、鳥居にて一礼のあと門をくぐり御正殿内に入ります。まさに緊張の一瞬です!御前に大事に持ち込んだお白石を奉献し礼をしてすすんでいきます。何人か門番の方だろうか?眼光が鋭く感じます!また、奉献した方々を写真撮影されているようでした。新宮御正殿の真後ろを一礼して出ていきます。各、鳥居を一礼しながらあとにして宇治橋に戻りました。

 

お白石を納めた奉曳車の前にて記念撮影を終えたのが10:10分頃でした。そのあとは、おもてなし広場で記念品をいただいてすべてが終了致しました。みなさん!ありがとうございました。

 

そのあとは、神宮会館にて白装束を着替えて11:30分に昼食です。着替えた時点で10:30分昼食まで1時間もあったので妻とふたりで会館前の喫茶店で妻は白玉を食べ、僕は恵比須顔で冷たいビールで祝杯をあげました。(嬉)

 

会館に戻り昼食を頂いて13:00帰路につきました。我が家に到着したのは18:30でした。富山県神社庁のみなさん!ほんとうにありがとうございました。砺波支部のみなさんありがとうございました。

 

そして伊勢のお世話してくださいましたみなさんにこころから感謝!です。また、長時間にわたり、そして早朝よりバスの運転と僕たちを楽しませてくださいました加越能観光の運転士とガイドさんほんとうにありがとうございました。

 

長年の僕の夢が叶った瞬間でした。

 

伊勢に行けば、神宮に入れば日本を強く感ずることができます!

ほんとうの日本人を知ることができるのです!僕は強く思っています!日本人らしく生きたいと!!


伊勢神宮より戻りました。1

伊勢より戻りました。ほんとうに長い間待ち続けた『お白石持行事』でありましたので大変感激しました。感激のあまりに、お白石を奉献する際に妻とふたりで涙しました。

 

平成25年7月27日(土)~28日(日)の記憶を鮮明にしたいと思います。

 

27日(土)

集合場所が50m先のJAとなみ野若林支店だったので柴田接骨院駐車場を開放してみなさんのお車を預かりました。さあ7:15バスに乗り出発です。乗り慣れた加越能観光さんのバスでした!

 

砺波ICを7:30に入り東海北陸・東名阪道をひたすら走ります。

トイレ休憩を取りながら12:00名阪道の関ドライブインにて昼食です。みなさんお白石持行事の特別神領民の方々ばかりのようで神社庁の旗があちこちにありました。

 

昼食を終えて妻と歩いていると殿山の伯父が参加していてビックリ!お互い「えっ来てたの?」伯父と別れて歩いているとまたまたビックリ!妻の実家ご近所の山崎さんとバッタリ「えーっ山崎さんも来てたんですか~?」ほんとうにビックリでした!

 

伊勢道に入り14:00頃に浜参宮二見輿玉神社にて法被を身に付けお祓いを受けました。神宮に入る前に禊をしたことになります。

15:30外宮到着!遷宮館を拝見し外宮の御正殿で厳かに参拝致しました。

 

17:30伊勢志摩ロイヤルホテル到着しお風呂に入り19:00より大懇親会でした。妻の体調を考えて1時間くらいで部屋に戻り早々に休みました。(睡)

 

28日(日)

朝4:00に起床!大変よく眠れました。妻も僕も体調すこぶるよろしく万全にてこの日を迎えることができました。ほんとうに感謝の気持ちでいっぱいになりました。(礼)

 

すべて白装束に身を包み5:00から朝食です。(もちろん和食です)ごはんにお味噌汁、納豆にアジの干物をいただきました。(おいしかったです)

 

さあ!元気にバスに乗り込み6:00に出発!向かう先は浦田駐車場です。7:00に到着!結団式を終え奉曳の際の掛け声などの練習を行い奉曳をひたすら待ちます。  (掛け声は声高らかに 「えんや~!」をひたすら繰り返します)

 

長い長い白い綱を握り締めその時を待ちます。(緊張の一瞬です)

僕の居た所は宇治橋から550メートル手前です。8:00いざ!始まりました。「えんや~!えんやあ!えんや~!えんやあ!」

木遣唄が続きます。「良~いとこ~良~いとこ~えぇ~ありゃりゃりゃりゃあ!」

 

給水として冷たい宇治茶が振舞われます。奉曳しているひとにひたすら笑顔で応援しもてなしてくださいました。綺麗な女性がにこにこして近づいて来てハイタッチ!です。先輩のお父様方も「えんや!」のお声がすごく高らかになったのはそのおかげかも?

さっすがおかげ横町!!!

 

宇治橋が見えてきたところでお腹のあたりで曳いていた白い綱が頭の高さまで上下を繰り返すようになってきました!(けっ結構きつくなってきたぞ!最後まで頑張れっ!)ここで諦めてなるものか!と、特別神領民の意地でみなさんと頑張れました)

 

ほんとうに曳き手とお世話方のみなさんのおかげで終えることが出来ました。(感謝)

 

さあ!宇治橋の鳥居を一礼して神域に入って行きます。内宮さんはすべて右側をすすんで行きます。玉砂利をすすむと手水舎が設けられていました。大きな一本の竹を横にして間隔をあけた穴から冷たく神聖な水が出ています。その水を受ける下に杉の葉が入れてあります。

 

手をそこにて清めすすんだところに白い布がひとりひとりに手渡されます。もうすこしすすんだ所にお白石が見えます。

 

とうとう特別神領民としての真髄です。

                                       (つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第62回神宮式年遷宮御白石持行事へ。

この27日(土)、28日(日)と伊勢神宮に行ってきます。

神嶋神社の河合宮司さんに相当以前からお願いをし、そのときが近づいています。「参加させて頂きたいです」と、20年間待ち望んできました。

 

今!何故か不思議とおだやかな気持ちでいます。これから20年というと長いと思うのですが、20年前から今を考えると・・もう、アッという間!に過ぎているのです。

 

過ぎ去るということは早く感じ、未来を想うと遅く感ずるものなんですね。・・・(頷)然し、ほんとうにありがたい気持ちでいっぱいです。それも『特別神領民』として参加をさせていただくのです。

 

今まで僕達夫婦は、伊勢に入ると外宮から内宮へと参拝して、それから伊勢志摩の伊雑宮へと進めていたのですが、いざ今回もそれにちかい行動になるのです。僕は今回の参加に際しまして、とても深い縁を感じます。

 

ほんとうに以前から、お声をかけてくださり、また無理なお願いをいつも優しく聞いてくださった砺波市神島の神嶋神社河合宮司さん南砺市越中一ノ宮高瀬神社河合さんに夫婦共々こころから厚く御礼と感謝を申し上げます。ありがとうございました!(礼)

 

縁(えにし)とはいつの代も大切にしたいものですね。

行って参ります。


7月7日(日)八重の桜を見て!

僕は、テレビはNHKしか見ません。CMが駄目だからです。

でもNHKの回し者ではない事をお断りしておきます!(笑)

 

その中でも欠かさず見ているものがひとつだけあります。八重の桜です!今まで幕末を舞台にした作品は男の目から見たものがほとんどでした。

 

それを女性の目を通して見る幕末の・・・それも会津の・・・!僕個人としては、幕末の歴史は真実とかけ離れ過ぎており、すべてを認めているわけではありませんが、八重の桜は見入っています。

 

賊軍の汚名を記せられても殿様(松平容保公)と城を守り抜く為に最期まで戦うという強いこころ!に胸あつくなる思いです。

何故か・・・。 今の日本に対しての思いと似ていると感ずるのは思い過ごしなのか?

 

八重たち有志が夜襲をかけた時に、会津藩武芸師範 黒河内伝五郎(六平直政役)が敵に囲まれました。黒河内先生が、敵に対して鋭い眼で睨みつけ、大きな声で叫ばれた言葉を聞いて僕は思わず涙してしまいました。

 

「お前らに会津はわたさねえ~っ!」・・・・・・・・・・

 

どんなことがあっても守るんだという決死の思いと愛国心!これこそが昔のサムライであり日本人なのです。

 

今現在、参議院議員の選挙真っ只中です。このような思いの政治家が数多く当選されます事を強く祈念しています。(拝)


虫がいないね。

患者さんとお話しをしているなかで、「ウンカがたくさん出てもう大変です」とか・・・「カメムシ発生を防ぐために一斉草刈りの徹底をお願いします」などなど・・・・季節に応じて色んな虫の名前が耳に入ってきます。

 

二日前の7月2日(火)に柴田接骨院のまわりにセミの声がはじめて聞けました!やはり夏なんだな~蛍もひとつだけだったけどゆら~りと目にしたぞっ!富山県砺波市の夏の便りでした!・・・・・・・。

(まだ終わらんがじゃ!)

 

最初のウンカのお話をしていた方は砺波市の山間部に居住されておられます。夜になると照明のまわりや部屋の明るさに誘われて物凄い数が集まるそうです。朝になると半端無い数のウンカが照明の下に横たわっているんだそうです。

 

僕の住んでいる所でも10年前くらいまでは同じだったのです!

あの触るとくっさい!カメムシもそうです!だけど今はまったくいないのです!そういえば見ていない・・・・・・?

 

大切な日本の自然がゆっくりと崩れてきています!あれは僕の小学生だった昭和40年代・・・・・・・・・田んぼの虫を一掃するために始められたあの農薬散布!

 

あれからゆっくりと今まで時間をかけてじわりじわりと浸透させられてきました。田んぼに虫来ない!草生えない!これを何とも思わなくなっているのです。

 

僕は冷静になって考えてみたいと思います。農薬はお薬ではありません!虫や草がいなくなり、生えてこなくなる土壌で作られるものは安心でしょうか?

 

生態系を乱しているのは我々にんげんです!その生態系の頂点にいるのは我々であることを気にもしていないならば・・・・・

農薬に頼らなかった昔に戻したい!と、僕は強く思います!

 

現代ではビオトープを作り子供たちに自然の大切さを教えています。非常にうれしくなる試みであると思います。然し、日本のなかで少しでも生態系を元に戻す力が湧き出れば・・・・

 

日本中が本来ビオトープなのです!(カタカナことばは、ほんとはきらいです。)(笑)そういうひとがドンドン増えていけば田んぼにミジンコが沸き出でて・・・・はじめの第一歩になる!その一歩からこの国は劇的に変わる!

 

ウンカとカメムシが僕に教えてくれたこと・・・・・・