とれたてblog

TOP > とれたてblog

誉建神社元始祭。

新年二日目の今日、誉建神社元始祭に行ってきました。厳かに巫女舞いの奉納のあと、厄年の身祝いがあり

殿(しんがり)に柴田接骨院のお祓いを賜りました。(礼)

 

直会では、河合宮司さんに伊勢神宮御遷宮のお白石持ち行事の御礼かたがた熱く語り、一献傾けて参りました。本当にありがとうございます。(礼)

 

本年も全身全霊で、すべての痛みを対処していきたいと強くこころに留めた次第です。

 

当院とこのブログが一考一助となれるように・・・・・・・。  拝、

 


あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

左の正月飾りは、患者様からこころを込めて当院に送られた宝物です。

すべて手作りの作品なのです。

 

お隣の地区の大島さんの本当にこころの温まるお飾りであります。当院としても、これだけのお飾りは勿論目にした事はなく、夫婦で胸熱く感動し胸いっぱいになりました!ありがとうございます。(大島さんに心より感謝致します)

 

富山県神社庁より大麻を頂きましたが、平成二十六年の指針として明治天皇御製がございました。新年に当たり謹んで引用転載させて頂きます。(礼)

 

(皇紀2674年)平成26年甲午(きのえうま)

          『明治天皇御製』

            巖 上 松

     あらし吹く世にも動くな人ごころ

               いはほにねざす松のごとくに

 

「解釈」

たとえ、どのように嵐が吹きすさぶはげしい世の中の変動にあっても、あの巖の上に、どっしりと根を張っている松の大木のように、しっかりとした信念を持って、心を動揺させてはなりません。

 

年頭に当たり、このような御製を拝し、こころに留め置かなければと思います。昨今の世界や日本の情勢を考えてみると、さもありなんと感じるのです。

 

どんな変動であろうとも落ち着いて、動揺せず信念を持って対処したいと思う次第です。

 

今年も何卒よろしくお願いいたします。      拝、

 

 


ひとを大切に思うこころ。

最近の日本は冬でもあり冷え込んでいます。世界に目をやっても内戦や

領域についての主張の違いがあり冷えている状況にあると思います。

 

ひとを大切に思うこころが、ほんの少しだけ冷えてきているのかも知れません。自分の家族は大切に思えるけれど、他人はそう思わない!

 

だけれど然し、外国で日本人と会ったり日本人かな?と思えるひとが居るだけでホッとしてしまうのは何故だろう・・・・?

家族を守る。いのちに代えても護らなければならないものが有る。

 

僕自身、これは何度も見て涙が止まらなかった!何度見ても・・・

(以下転載開始)

 

  

  ☆ 静ちゃんへの手紙  ~神風特攻隊員の兄と幼き妹~

      大石清 伍長「妹への手紙」

大阪府出身で飛行学校の大石清伍長は、昭和20年3月13.4日の大阪大空襲で父を失い、重病だった母親も亡くす。肉親は大石伍長の妹である静恵さん当時小学生。兄が戦場に行き、妹は伯父の元に引き取られていた。

 

妹思いの兄は給与のほとんどを妹に送金しており、このような手紙をやりとりしたという。

 

  ☆ 静ちゃん

お便りありがとう。何べんも何べんも読みました。お送りしたお金こんなに喜んでもらえるとは思いませんでした。神棚などに供えなくてもよいから必要なものは何でも買って、つかって下さい。

兄ちゃんの給料はうんとありますし、隊にいるとお金を使うこともありませんから、これからも静ちゃんのサイフが空っぽにならない様、毎月送ります。では元気で、おじさん、おばさんによろしく。

 

戦況の悪化ににより、鹿児島県知覧のみであった特別攻撃隊の飛行場の補助として作られた万世基地では、昭和20年3月29日から終戦まで飛行第66戦隊、飛行第55戦隊が一機また一機と飛び立った。

 

同年5月20日、大石清伍長が到着。その数日後・・・・

次の遺書を整備担当であった大野沢威徳氏に預け出撃し散華した。

 

  ☆ なつかしい静ちゃん!おわかれの時がきました。

兄ちゃんはいよいよ出撃します。この手紙がとどくころは、沖なわの海に散っています。思いがけない父、母の死で、幼い静ちゃんを一人のこしていくのは、とてもかなしいのですが、ゆるしてください。兄ちゃんのかたみとして、静ちゃんの名であずけていた郵便通帳とハンコ、これは静ちゃんが女学校に上がるときにつかってください。時計と軍刀も送ります。これも木下のおじさんにたのんで、売ってお金にかえなさい。兄ちゃんのかたみなどより、これからの静ちゃんの人生のほうが大事なのです。もうプロペラがまわっています。さあ出撃です。兄ちゃんは征きます。 泣くなよ静ちゃん。 がんばれ!

 

この遺書を預かった大野沢威徳氏は次のような手紙を添えている。

 

  ☆ 大石静恵ちゃん

突然、見知らぬ者からの手紙でおどろかれたことと思います。わたしは大石伍長どのの飛行機がかりの兵隊です。伍長どのは今日、みごとに出げきされました。その時、このお手紙をわたしにあずけて行かれました。おとどけいたします。

 

伍長どのは、静恵ちゃんのつくった人形を大へん大事にしておられました。いつも、その小さな人形を飛行服の背中に吊っておられました。ほかの飛行兵の人は、みんな腰や落下傘の縛帯の胸にぶらさげているのですが、伍長どのは、突入する時に人形が怖がると可哀そうと言っておんぶでもするように背中に吊っておられました。

飛行機にのるため走って行かれる時など、その人形がゆらゆらとすがりつくようにゆれて、うしろからでも一目で、あれが伍長どのとすぐにわかりました。伍長どのは、いつも静恵ちゃんといっしょに居るつもりだったのでしょう。

 

同行二人。仏さまのことばでそう言います。苦しいときも、さびしいときも、ひとりぽっちではない。いつも仏さまがそばにいてはげましてくださる。

 

伍長どのの仏さまは、きっと静恵ちゃんだったのでしょう。けれど今日からは伍長どのが静恵ちゃんの『仏さま』になって、いつも見ていてくださることと信じます。

 

伍長どのは勇かんに敵の空母に体当りされました。静恵ちゃんも、りっぱな兄さんに負けないよう、元気を出して勉強して下さい。

さようなら

 

 

幼い妹を一人残して逝く大石伍長の悲痛な句が残されている。・・

 

「妹のことを伯父にたのみ、新宮駅にて訣別。妹泣く。伯父上夫婦も泣く。せめてあと数日、妹の傍に居てやりたし」

 

 

終戦まで三か月弱前の五月二十日、特攻出撃。

 

 

「静ちゃん」は十一歳。大石清の年齢はわからない。「中学三年から飛行学校」へ行ったという事から推測し・・・・・

十七、八歳ではなかったかと思われる。

 

(転載終了)

 

僕は何度も見て、読んで涙が止まらなかった・・・。

我々の祖父であり、父である年齢の方の話である!!

将来の日本を我々に託して逝かれていると僕は理解をしています。

 

今現在!大石清伍長をはじめ、先人に胸を張って良いのだろうか?

今の日本に納得されているだろうか?

 

こころが冷え込んできている今!

ひとり!思いを巡らせています。

    


嬉しい気持ちに。

先日、嬉しい気持ちになりこころがほっとしました。やはり師走となりますと僕でも何故か気ぜわしく且つ、忙しく感じます。

 

何でもないのに『アレもしてコレもして』と、ひとりで慌てていたような。(笑)

そんな時に起こった嬉しい出来事です!!

 

以前!僕たち夫婦がこころに響く天使の声

に感動しブログにそのままをお伝えしました。それから大至さんをはじめ気仙沼線普及委員会のみなさんとメールで繋がり、こころ温まる思いを何度もさせていただきました。

 

何と!気仙沼線普及委員会さんから大至さん主催の忘年会のお誘いでした!師走となり、ひとりで慌てていた所でしたのでハッ!として、嬉しい気持ちになりました。ありがとうございます。(礼)

 

早速のお誘いに是非ともお伺いし、みなさんとお会いしたい気持ちでいっぱいになりました。然し乍らこちらでも予定が入っている為に残念でありました。

 

天使の声!大至さんの気仙沼線から溢れ出るこころの叫び!を聞かれましたならば、こころの共鳴する!ということをお感じになれると僕は思います。

 

右上の写真が気仙沼線のCDです。このCDには大至さんをはじめ気仙沼線普及委員会みなさんの熱き思いの結晶であり宝なのです。

投じられた多くの魂の重みが波紋となり、今も広がっています!

 

来年の今頃でしょうか・・・?

日本中に天使の声!が響き渡ります。          拝、

 

 

 

 

 

 

 

 


考えさせられること。

平和ぼけした僕のこころに飛び込んでしまったものがあります。

兎角人間とは、忘れる生きものです。それは恥ずかしながら分かっています。

 

前々回の拙ブログで、『ことば』の事を書きました。正に言葉は!生きています!!以下動画から転載致します。

 

(転載開始)

         女子高生の怒り

 

    旅行先での駐屯地祭の話

  例によって変な団体が来て、私はやーな気分

     その集団に向かって

  一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく

 

 

少女「あんたら地元の人間か?」

 

団体「私達は全国から集まった市民団体で・・云々」

 

少女「で、何しにきたんや?」

 

団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・

                     云々」

 

少女「私は神戸の人間や はるばる電車のって

        何しにここまで来たかわかるか?」

 

団体「・・・・?」

 

少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのは

    ここの部隊の人や!!

     寒い中ご飯作ってくれて

      風呂も沸かしてくれて

  夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのも・・

       ここの部隊の人や!!

  私は、その人たちにお礼を言いにきたんや!

       あんたらにわかるか?

  消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が・・・

ここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・」

 

 

  最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は

次第に涙声に変わっていった・・・・

 

 

団体は撤退・・・・

 

  彼女が門をくぐった時に守衛さんが

        社交辞令の軽い敬礼ではなく

     直立不動のまま敬礼していた・・・・・・

(転載終了)

 

あの阪神大震災のあとにあった実話であろうと思われます。少し、怒りの感もあるのですが、日本人として失くしてはならない事を

教えてくれています。

 

決して忘れてはならないこと。

風化させてはならないこと。

無念にも旅立たなければならなかった方々の分まで

生きて伝えなければならない。

 

そして今、ここにいることに感謝・・・・。

おかげさまで・・・・。  (礼)     

 

 

 

 

 

 

 

 


ちょっと気になる事。

最近ちょっと気になる事があります。どこに行っても携帯電話!というかスマホ!をしているひとが多く、隣にいるひとと会話をしている光景が激減しているのではないかと思います。

 

前にも拙ブログで、物に依存する危険性を書きましたが今回は、又違う視点で考えたいと思います。日本人は手紙を書いて気持ちを伝えるという文字にこころを込める事を大切にしてきました。

 

僕の中学時代は文通!そのあとは交換日記であったり?まあ~した事ないから分かりませんが!そうだったと思います。きたない字は書けない見せれないと、ひと文字ひと文字にこころを込めて。^^

 

ですから字は、誰の書かれたものであっても達筆が多く、綺麗な字だなあ!と自分もそうなりたい思いで頑張った記憶があります。

 

翻って今はどうだろうか?先日、従弟の子に会った時にスマホをそれは流暢に使うのを見て、書く事はあるのか?尋ねると「パソコンで文書作成にメールで送信ばかりだから書かないなあ」と答える。

 

これからの時代は、益々そのような状況であろうと思われます。が、いつだったか忘れたのですがNHKの朝のニュースの合間でした!毛筆書きをひたすらする若い女性が増えていると紹介されていました。背筋をピンと伸ばし書かれている姿に、日本人の美しさを見た!思いがしました。

 

綺麗な言葉を流暢に話し、字は大切にこころを込めて書いていく事により、攻撃的な口調や欺きや、いじめなど日本人として恥ずべき行為は無くなるものと信じています。

 

機械に依存や振り回される事無く生活出来るようにしたいと僕自身強く思っています。押し付けでなく一考なれば!

次回は、お子さんへの言葉と字の楽しさについて一考します。


垣入!(かいにょ)

僕の住んでいる富山県砺波市は、散居村が有名であり夕日に輝いて点在する家屋と屋敷林は、正に圧巻!琥珀色の大パノラマです。砺波平野の屋敷林は『垣入』と書いて(かいにょ)と言います。家屋をたくさんの樹で囲み、防風や遮光などの温度調節や実のなるものを保存食としたり、落ち葉や枝を燃料にしたり肥料にして活用し、大きく育った樹木を新築や増改築に利用するなどしています。虫が増えたり、木の実がなると鳥がやってきて啄ばみ、糞をして木が育っていきます。生態系がそこに存在し守っているという不思議な空間が生まれます。一軒の屋敷に春夏秋冬丸ごと、生きていく為のものが現れるというか自然と回ってくるのです。先人の知恵がそのまま生きています。富山県では、美しい散居村と屋敷林(垣入)を守る為に保全事業を行なっています。昔から大切に継承してきた日本人としての凛としたもの!ものを大切にし活かすという日本人らしい生き方をもう一度、胸に刻み込みたいものです。日本全国に目を向けてみると砺波平野の『垣入』(かいにょ)の他仙台平野の『居久根』(いぐね)出雲平野の『築地松』(ついじまつ)と3か所あるといいます。出雲と仙台に砺波!この3平野には、もしかして何らかの深い関わりがあるのかもしれません!?何故?と思うと昔から頭をもたげる癖があるものですから、いずれ続編となるかもしれません!?ご存知の方がおられましたらご教授頂ければ幸いです。   拝、


相撲は神事です。

平成25年納めの九州場所も終盤となってきました。両横綱の強さが際立っています!横綱を目指す大関が現れてほしいものです。東西の横綱を今はモンゴル出身の両力士に任せっきりでは日本人として

誠に申し訳ない気持ちがあります。

 

相撲はスポーツとして認識されている。と僕自身も思いますが裏を返せば神道行事なのです。天下泰平、五穀豊穣を願うものです。

大分以前の大相撲観戦に吉田司家(吉田神道)の方がお見えになっていたのを思い出します。

 

日下開山(横綱)は以前に吉田司家が許可を与えられて初めて横綱となったのです。現在の横綱昇進のそれとは全く異質なものであったのです。

 

丸い土俵を立てて見ると、神社でおなじみ『茅の輪くぐり』となり上をると神社の屋根がそのまんま!千木と鰹木がそのままです。

それに行司さんはどう見ても神官です!

 

勝ち負けで陰陽を示し、立行司木村庄之助(陽之助)式守伊之助で(陰之助)をも表します。もちろん東西も然りです。何より、横綱そのものが神社には欠かせない注連縄であり神を表し横綱土俵入りや、勝ち名乗りを受ける際の手刀で造化三神をも表します。

 

まだまだあるのですけれど、キリがないのでこの辺にしておきますが、相撲いや日本という国は本当に奥が深いのです。御遷宮の行事に参加させていただいて確信して参りました。

 

何気なく目にしている事やものに、もう一度顔を洗って見てみるとぼやけて見えるものがハッキリと見えてくるような気がしてなりません。相撲を見る目が変わるかもしれませんね!?(^^)

 

本場所が終わると日本中に巡業されている事にこころから感謝したいと思います。(礼)

 

 

 

 

 

 


雪つり!

昨日はお天道様のご機嫌麗しく晴天に恵まれましたので妻の実家の松の雪つりをしてきました。石川県の兼六園の雪つり作業が始まると同時に、お庭を持つ家でもいよいよとばかりに始まります。

 

妻の実家に到着してすぐに治療家から造園家へと変身した僕は、縄と竹を手に作業開始!義母の「お茶飲んでからにしたら」の言葉に「そのお茶は泡出るの?」と、返し笑いを取って勢いをつけます!午前中に何とか3本の松を作品に仕上げました。

 

なかなか上手くなってきました!?やはり経験を積まなければ上達はあり得ません!試行錯誤や上手なお手本になるひと様の作品を見る事が良かったと思います!ありがとうございます。(礼)

 

昼食を頂いてすぐに午後の部開始です。家の前庭5本を終えて裏庭に移動し、裏庭の中心にある2本の松を作品に仕上げていきます。

最近は16:00も過ぎると暗くなってきますので少し急ぎます!

 

前庭と裏庭あわせて7本の作品を何とか17:00に仕上げ、後片付けを済ませて17:30に妻の実家を後にしました。縄をたくさん使ったので指が疲れました。

 

然し、雪つりは奥が深く庭を庭園に見せてくれるという力を秘めています。庭は同じはずなのに雰囲気が大きく変化するのです。変化というか?格があがる!と言うほうが相応しいのかもしれません。

 

日本の冬の風物詩!造園家の皆さんの腕の見せ所である雪つり作業をして爽やかな疲労感に『日本人に生まれて良かった』とお風呂に浸かって一息ついた時に思った次第です。

 

 


願い!

平成25年度コシヒカリの収穫を9月に終え麦を

作付けし来年の6月に黄金色の麦を収穫します。

 

田圃や農作業などした事も無かった僕でした。

 

妻の実家は農家で義父が頑張っておられましたが

体力の限界!という事で「あとは頼む」と一言。

「え~っ!やった事も無いのに~っ」!?(困)

そのあと美味しいお酒を頂いて気持ちが良くなり「お父さんっ!田圃の事は心配せんでいい!俺にまかせとけ~っ!」(酔)と言っていたと知ったのは翌朝でありました。^^(笑)えへへ。

 

妻に「ねえ本当に大丈夫なん?」と聞かれ「男に二言は無いっ!」と言い放った僕は、しばらく夕日を見て黄昏ていたのを記憶している!?出来るかどうかも分からなかったのですが、ご近所の皆さんが良い方ばかりで、農作業のいろはを本当にさりげなく教えてくださいました。本当にありがとうございました。(礼)

 

そんなこんなで農業に目覚めた頃!?大々的な圃場整備事業が始まりました。今まで作付けしていた田圃を大きく広げていくのです。

来年6月の麦の収穫が終わり次第!いよいよ始まります。

 

何か?ちょっとさみしい気もしているのは何でだろう?休日返上で頑張った事も楽しかったと感じるのは何でだろう?困ったなと思った記憶があいまいになっているのは何でだろう?

 

僕の仕事の研修や学会など、すべてお休みして取り組んできた事もあり僕自身!田圃に対する思い入れは相当重みがあったのだな!と

今になって感じています。

 

来年度はどの様になるのかは今の段階では不明ですが、作付けするのであれば、全面的にお手伝いしたいと思います。

 

農業をもっともっと大事にして瑞穂の国日本を守り食を大切にしてひとを守りたいと強く願っています。