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天神講(てんじんこう)を考える。

もう幾つ寝るとお正月~♪っていう感じになりました。お正月にはお飾りはもちろんのこと天神様(菅原道真公)をお祀りして

1月25日に天神講となります。北陸富山では、当たり前に行われる祭事として厳かに守っており、日本中で行われている!と思っていました。然し!北陸の越前と越中だけ、ようするに福井県と富山県だけだと知ってボー然!?これは本当にびっくりして!出てきた言葉が「えっ!そうなの?」でした。これは多分なのですが福井と富山の両県のひとはみ~んな、そう言ったと思います。また、1月25日の天神講でお供えするのが福井県では焼きカレイと決まっているそうなのですが、こちら富山県では尾頭付きが定番で鯛や甘鯛、鰤に鰯、はたまた蟹やら烏賊など食べたいものをお供えしています。各家庭によってマチマチなようです。(笑)

 

両県にわたる根強い思い込みは、近年!テレビのクイズ番組によって外されたようである。この件はテレビ番組に感謝せねばならないですね!(礼)一つ思い込みを外せました!ありがとう。(感謝)以下『ウィキぺディア』より引用します。(チョット長いですのでお急ぎの方はスルーしてくださいね)

(引用転載開始)

 

本来、天神とは国津神に対する天津神のことであり特定の神の名ではなかったが、菅原道真が死後、火雷天神と呼ばれ雷神信仰と結びついたことなどを由来とし、道真の神霊に対する信仰もまた天神信仰と称するようになった。

 

(歴史)

藤原時平の陰謀によって大臣の地位を追われ、大宰府へ左遷された道真は失意のうちに没した。彼の死後、疫病がはやり、日照りが続き、また醍醐天皇の皇子が相次いで病死した。さらには清涼殿が落雷を受け多くの死傷者が出た。(清涼殿落雷事件)これらが道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。

 

清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。元々京都の北野の地には火雷天神という地主神が祀られており、朝廷はここに北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。道真が亡くなった太宰府にも墓所の地に安楽寺天満宮、のちの太宰府天満宮が建立された。また、949年には難波京の西北の鎮めとされた大将軍社前に一夜にして七本の松が生えたという話により、勅命により大阪天満宮(天満天神)が建立された。987年には「北野天満宮大神」の神号が下された。また、天満大自在天神、日本太政威徳天などとも呼ばれ、恐ろしい怨霊として恐れられた。平安時代末期から鎌倉時代ごろには、怨霊として恐れられることは少なくなった。この時代に書かれた『天神縁起』によれば、この時代には天神様は慈悲の神、正直の神として信仰されるようになっていた。江戸時代には、道真が生前優れた学者・歌人であったことから、天神は学問の神として信仰されるようになった。元々の火雷天神は天から降りてきた雷の神とされており、雷は雨とともに起こり雨は農作物の生育に欠かせないものであることから農耕の神でもある。各地にも火雷天神と同様の伝承とともに天神が祀られていたが

火雷天神が道真と同一視されたことから、各地に祀られていた天神もまた道真であるとされるようになった。また、北野天満宮や太宰府天満宮からの勧請も盛んに行われた。天神(道真)を祀る神社は天満宮・天満神社・北野神社・菅原神社・天神社などという名称で、九州や西日本を中心に約一万社(岡田荘司らによれば3953社)あって分社の数は第3位である。

 (発祥の地)

北野天満宮と太宰府天満宮はそれぞれ独立に創建されたものでありどちらかがどちらかから勧請を受けたというものではない。そのため、北野天満宮と太宰府天満宮では「総本社」「総本宮」という呼称は用いず、「天神信仰発祥の地」という言い方をしている。

 

(各地の天神信仰)

北陸、福井県や富山県では、長男が誕生するとそれ以後の正月、床の間に天神像(木彫や掛け軸)を飾り、福井では1月25日にカレイを供える風習がある。この掛け軸などは、母方の実家から送られる。これは幕末の頃に教育熱心であった福井藩藩主松平春嶽が領民に天神画を飾るよう推奨し、それを富山の薬売りが広めたという説がある。また、石川県など前田藩の他の支配地域や隣接地域でも同様の風習があった。金沢市には正月に天神と複数の従者の木像を飾る風習が昭和30年代まで見られた。前田家は菅原氏の出を称しており、家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、そのためとされる。ちなみに前田家の家紋は「剣梅鉢」と呼ばれている。

 

広島県北部

 子供の初節句に天神像等の人形を贈る。三次人形を参照。

 東京板橋区

 関東最古の天神信仰である。梅木の霊力で疫病が退散し梅木を祭祀し天神信仰が始まった。

 (天神信仰と数字)

菅原道真を主祭神としている神社では、道真の誕生日と命日がともに25日であったことから毎月25日を例祭としていることが多い。

江戸時代でも毎月25日は天神様の縁日であり、とくに旧暦1月25日を「始め天神」、12月25日を「終い天神」とよんで参詣したが、これは新暦に移行した現在でもそう呼ばれている。また江戸市中で道真を祀る25社を「江戸二十五天神」と称した。

 (天神信仰と牛)

菅原道真と牛との関係は深く「道真の出生年は丑年である」「大宰府への左遷時、牛が道真を泣いて見送った」「道真は牛に乗り大宰府へ下った」「道真には牛がよくなつき、道真も牛を愛育した」「牛が刺客から道真を守った」「道真の墓所(太宰府天満宮)の位置は牛が決めた」など牛にまつわる伝承や縁起が数多く存在する。これにより牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされ臥牛の像が決まって置かれている。

 (引用転載終了)

 さて、これから一考して自論を展開することにします。あくまでも自論であることをお断りしておきます。藤原時平の陰謀によって、道真は左遷され、破竹の勢いそのままに出世街道を歩んできた道真を地のどん底に突き落とされました。いやがらせもここまでくると怖いもので、まるで犠牲である。疫病や清涼殿落雷事件は、犠牲者である道真の祟りだと権力者や人々が信じた訳は、その時代背景や陰陽道が深く関わっていると思われます。天神講として福井や富山に今でもお祀りし大切にしているのは、それに関係するものが多数移り住んだのか?もしくは怨霊封印の為に陰陽道の定めた方角がこの両県であったのではないかと僕は推察しています。右上の写真の臥牛は、菅原道真公と牛の縁もあるだろうと認めた上で、菅原道真公はある意味で犠牲となられたのだという暗示が込められていると推察するのです。牛偏に義と書いて犠牲の犠となります。牛イコール菅原道真公と考えれば道真公に非ではなく、義があった事を知っております。という暗示であると。神道に於いては、伝説的であったり暗示的であったり比喩的表現が鏤められていると感じています。新年に向かい改めて天神様をお祭りし1月25日の天神講まで菅原道真公に向き合いたいと思います。柴田家の天神様は母の父、日本画家である僕の祖父 城寳清太郎の僕への愛情一杯込めてくれた作品であり、最大の宝です。ありがとうございます。(礼)


一考すべき記事!

今日付けの北日本新聞(社会面)に『子宮頸がんワクチン』の記事が載っていた。先日も自論を書いていたので、正に一考する時期に来ているのだろうと思います。

 

あれこれとハッキリとしつこく書いてきたので、今回は書かない。僕が言うのでなく新聞に掲載されているのです。以下、北日本新聞より転載いたします。

 

(転載開始)

       接種呼び掛けの再開結論先送り

           子宮頸がんワクチン

 

 接種後に長引く痛みやしびれなどの副作用が報告されている子宮頸がんワクチンについて、厚生労働省の専門部会は25日、中止している接種の呼び掛けを再開するかどうかを検討したが、結論を来年1月にも開催する次回以降に持ち越すことを決めた。

 

(転載終了)

 

僕は、この事だけでも一考されるに充分だと思います。何も考えずに流されなければ今の生活が保たれるのだから・・・。(安堵)

 

 


自分自身で調べる事の大切さ。

僕は以前から、いや今も言い続けている『情報に流されず!鵜呑みにせず!自分自身で調べ、一考し行動する事』。今もこれからも必須であると考えています。

 

テレビで放送されているから。とか

みんなが言っているから。今行けば無料だから。とかとか!?

しっかり調べないといけません!必ず調べてください!!(願)

 

何故!何度も何度も繰り返して伝えているのか。どうしても理解を

してほしいからなのです。例をあげて伝えます!一番記憶に新しい例題かと思います。

 

あの3.11以降、頻繁に流れていたCM!『子宮頸がんワクチン』は副反応(副作用)の多さから厚生労働省は、積極的に勧めてはいません!というリーフレットを出した。(超積極的だと思ったが?)

 

一気にワクチン接種に走った!という感がありましたが、娘の様子がおかしい!?歩けない!痛みが引かない!記憶力が低下している様だ!など一部に副反応と共に不信感が出てきたのです。

 

言われるまま流れていくのは大変危険である!ということを再確認

すべきであると、先の事案は教えてくれています。

 

先日妻が、一冊の本を僕に差し出してくれました。内科医の内海聡

氏の著書『医者いらずの食』という題名で、内科医が薬害ならぬ、あらゆる食害を斬る!!とっても危険な添加物、遺伝子組み換え、人工甘味料、農薬、合成油、化学調味料ETC・・・一生病気と無縁でいられるヒントがここにあります。(帯)

 

という本である。「医原病」が作られる構図として・・・。

 

「生きること」と「食べること」は直結しているー

現代医学は病気を治せないー

「医療化」という洗脳ー

大事なのは、自分で調べて自分で決めることー

子供を殺して才能を奪い取る「毒親」ー

「コレステロールが高いと危険」という嘘ー

高血圧、糖尿病、生活習慣病をめぐる嘘ー

 

ほんの少し読み進めた頁に、これだけの著者の思いが込められています。妻が何故、この一冊を手渡してくれたのかが分かり僕の背中を押してくれた事にも感謝です。

 

内海聡医師の著書は、異端医師の独り言のリー先生のブログと同様に一読をお勧め致します。正に目から鱗!と言えるものでたくさん刷り込まれた『思い込みを外すには大変貴重な文献です。

 

右上の写真は、患者さんから「冬至のゆず湯にどうぞ」と頂いたもので入浴してみたら、調べた通りでものすごく身体が芯から温まり

おかげさまで、こころもあったか~くなりました。

ありがとうございます。(礼)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もう一度伝えたい事!

以前にも拙ブログでお伝えしましたサプリメントの話なのですが、もう一度!今だからもう一度伝えます。

 

『夜トマ〇ダイエット』根拠なし!

というニュースや新聞記事に載っているのをご覧になられたと思います

 (記事とは無関係です。今朝の二重の虹です!)

 

運動や食事制限なく飲むだけで寝ているだけでダイエット出来る!

として宣伝したのは根拠がないとして消費者庁は5日、景品表示法に基づき、その会社に再発防止などを求める措置命令を出した。

 

うたい文句だけを見れば夢のようなもので、メタボなお腹の僕には正に渡りに舟であり!飛びつきたい気持ちになると思います。然し

僕には信念があり、黙って見過ごす事は出来ません!

 

ハッキリいいます。困っているひとが騙されるのを黙って見過ごすなんて僕には出来ません!自己責任だからいいんじゃない!?って

そんな事ばかりだから世の中がおかしくなっていくのです。

 

『ダイエット』とは、健康や美容の為に食事の量や種類を制限すること。であり、正しい方法をもう一度、再確認して頂きたいと思うのです。今の世の中には利益ばかりを追求し、本来の姿を忘れてしまっているのです。

 

嬉しくなるうたい文句に乗せられる前に、先ずはご自分で調べましょう。疑うのではなく、最初に調べることをするならば方向性は自ずと定まるものです。

 

カタカナの食事を元の日本食に戻すだけで良いのです。簡単に説明すると、トーストにバター&ジャム.スクランブルエッグにミルク

かコーヒー.の食事をごはんとお味噌汁にお漬物にするだけ。

 

我々日本人の本来の食事をする事ですべては適うのです。ごはんが太る原因ではありません!便利になり歩くこともせず、油脂の多く含まれるカタカナの食事を摂取し続けては益々無理なのです。

 

ダイエットを真剣に考えるならば我々本来の日本食を感謝して食し

ましょう。これ程すばらしいサプリメントはありません!!外国で健康の為に日本食ブームが広がっているということが、その証左であると思います。(日本食は最高です!)

 

情報に惑わされる事なく、自分自身でよく見極めたいものですね。

一考なれば!

 

 

 

 

 


異端医師の独り言。より

 

      長雨が止んで晴れ間が出た時の虹のように・・・

                      リー先生に捧ぐ。

 

 僕の頭の中に数多く存在していた思い込み!こびりついていたと言っても過言ではないと思います。そのこびりついた思い込みを丁寧に一枚一枚はがしてくれた方がいました。

 

今の医療界にバッサリと切り込み!真実を伝えていく。この何事も恐れないブレない信念こそ、僕の背中を強く叩いてやさしく押して

くれました。

 

その方は、この夏に惜しくも亡くなりましたが、強い信念は全国に今も生きています。『まあまあ、いいからいいから』とあやふやにせず!ハッキリと正しく伝えること!

 

医療に関する思い込みは、なかなか外す事は難しく、真実を話すと変人扱いってありがちな事なのだけれども、それも含めて楽しめるという今の自分に先生の気持ちが分かるような気もしています。

 

これからの季節は、風邪やインフルエンザなどが流行する時期でもあります。ただ不安がらないで色々とご自分自身でお調べになる事をお勧めします。

 

僕のお勧めはこの題名でもある『異端医師の独り言』です。

リー湘南クリニック 李 漢栄(医学博士)の院長ブログです。

お亡くなりになられていますがブログはそのまま今も顕在です。

 

    『異端医師の独り言』のカテゴリー別アーカイブ

医者が治せる病気 作る病気(24)など目から鱗の先生からの情報

一刀両断的な表現もありますけれど、それ正に異端と自ら名乗られている証というべきでありましょう。(礼)

 

塩分は高血圧の原因であるか?など調べてみますと正に目から鱗!今までの思い込みが、一枚二枚とはがれていくのをお感じになると思います。

 

リー先生!本当にありがとうございました。

柴田佳一 拝、


ことば。

今回は、お子さんに対する言葉と、字の楽しさについて一考してみたいと思います。幼児を持つお母さんからの相談がきっかけであり

僕は幼児教育については、専門的知識はありませんので、現場にて活躍された方の意見を交えて紹介したいと思います。

 

この拙ブログに記載することは決してマニュアルに沿って意見を述べるものではなく、現場で子供たちの為に試行錯誤された結果、導き出された考えを管理人の責任においてお伝えするという事を先ずはお断りしておきます。

 

僕は言葉には力があると思っています。言霊(ことだま)といわれることからもわかるように、『あのひとの一言で私は救われた』と感謝する方もいらっしゃれば、『あの人の言った言葉は許さない』と負の思いを心に宿す方もいるという!?正反対の思いもひとが発する言葉が発端となります。

 

いくら言葉をきれいに並べても、正反対の思いが心にありますと、聞く側は自然と察知する能力を発揮して眉に唾をつけるものです。

 

子供たちは素直な純粋なこころでいますから、我々大人とは違うのです。邪な思いを心に抱いて語りかけてはなりません。愛情たっぷりにまっすぐな思いをこと葉にのせて話したいものです。

 

赤ちゃん言葉などは、本当に愛情たっぷりの表現であり自然体なのかもしれませんね。(誰もいない時にパパがしてるやつです)(笑)

 

然し、まだ小さいからわからないと思い込み!夫婦で何でも喋っていると子供は記憶していて後でビックリ!!ということもあると聞いていますから、よく人生の先輩が『子供の前でっ!』と、いわれるのも理解出来るのではないでしょうか。

 

園に通うようになってから良くない言動が増えてきた!といわれる事が多いのは、家庭内で聞いている言葉(テレビも含む)をそのまましゃべり、それを聞いて拡がっていくのが無邪気な子供たちには楽しいのです。

 

覚えたての言葉は嬉しそうに、且つ自然に口にしますから大人として、子供の前での会話やテレビ番組の内容にも気をつけたいものですね!(頷)

 

言葉は自然と身についてきますが、字はなかなかそうは上手くは書けません!?当り前であり、僕もよく反対文字を書いていたのを今思い出し笑いしているところです。^^

 

『子供は親の背中を見て育つ』さもありなん!至言です。親と楽しく遊びながら言葉を選ばせて、その子の選んだ言葉を親がゆっくりと書いて見せ、一緒に書くのです。字に興味を持ち始めたその時がチャンスなのです。

 

ここに例をひとつ出しておきますが、たとえ真似しなくても焦らないで大丈夫です!何度も色んな場面でその都度、繰り返して行うと真似っこ遊びの始まりです!

 

(例として!)

 マー君の好きなもの何~んだ?

〇うんとね!んとね!ママ。

◎ありがとう!ママ凄く嬉しいから書いてみようかな!?

〇うんうん!書いて書いて~『まま』って書いて~!

◎じゃあママと一緒にマー君も書いてみる~?

 

☆ きっとママが喜んでくれた気持ちが凄くうれしくて、お子さん

 はお母さんと一緒に真似をして書き始めると思います。^^  

 

じゃあパパの好きなものは何~んだ?

〇え~っとね~?ん~っとね~?ごは~ん。

◎そうだね~パパご飯大好きだよね~!

 

◎あれ?マー君!文字版持ってきたの~!?えらいな~!

◎じゃママが、ご は ん って書くから文字版で見つけてね!

◎ご は ん。凄い凄いっ!よ~し。こちょこちょこちょ!!

 

「教え込もうとすると忘れ易く!一緒に楽しく子供自ら探し出した言葉をママやパパがゆっくりと書いている姿を見せ、褒めることを忘れずに親子の自然な触れ合いが大切です。」

 

字を間違えても「ちがう」と言わずに「よ~く見てごらん!一緒かなあ?」って伝えると今度は間違い探し遊びをするようになります。普段の生活や何気ない親子の遊びの中で、お互いが楽しみ笑顔の中で覚えられる事がたくさんあるといいですね。早く早くと教え込もうとせず楽に楽に・・!その内、えっ!?いつの間にってね。

 

『ねばならないではなく、ならなくても良い良い!』^^

こころにゆとりをもってお母さんも楽しんじゃいましょう!!

出来なかった事が出来るようになる!って子供もお母さんもすごく嬉しいし楽しいですよね!その積み重ねを大切にしてください。

 

ふ~んそうなんだ!僕自身は何にも考えていなかったので幼児教育は奥の深いものだと知らされました。僕自身に置き換えてみますと

やはり!ああだこうだと強制的に覚えるよう言われましても嫌気がさして頭に入らなかったような気がしたのを記憶しています。(笑)

 

家で楽しく過ごす事!明るい笑顔で接する事!

綺麗な言葉を使う事!言葉を大切にする事!

 

愛情いっぱいの親の背中を見ている子は幸せだと。

確信した次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


よく目にする思い込み!?

今回は、本当に多い思い込みについて書いてみたいと思います!!これは、日本人の作法についての思い込みであり最近よくテレビで目にする為に当り前になってしまっているという傾向があります。

 

食事に関する思い込み!です。

 

~最近は寒くなり氷見の寒ブリが美味しい季節となりました!キトキトのお刺身と地酒をお召し上がりください!!~と、そろそろ楽しい忘年会のシーズンですね!焼き物、煮物にお造りで一杯!ん?

 

美味しくて箸がすすむのは分かるのですが、もう一方の手がこぼれ落ちるのを防ぐ為なのか何なのか?お皿からお口に入るまでお箸の下にいつもあるのです!?

 

僕は齢50を過ぎても、気の張る席ではやはり緊張して自分でした事を思い出して反省し苦笑いする事が多いのですが、上に紹介した例は10代の頃にきびしく直すように教わりました。(礼)

 

頂く糧に手をそえるという行為は、如何にも丁寧で上品な素振りに見えますが誤りであり、もう一方の手には、そのお椀やお皿を持つのが作法である!と。

 

頂く姿勢や箸、器の取り方やその作法、音をたてない頂き方などは本当にきびしく日本人の凛としたこころを芯として差し込んでもらいました。

 

『10代の時にきびしく教わった事はしっかりと身につける事だな』

 

富山県高岡市西田にあります臨済宗国泰寺の稲葉心田管長をはじめ坂本さんに教わった事や座禅などの修行が36年を経ても僕の中に生きています。                      

 

本当にありがとうございます。(礼)

 

 

 


どうなったの?

以前にも書きましたが今回はNHK総合のくらし✧解説で放送された『どうなったの?子宮頸がんワクチン』について、もう一度一考し書いてみようと思います。

 

積極的に勧められた子宮頸がんワクチンは重篤な副反応(副作用)が出ているとして一転!積極的には勧めてはいない!としたためた

リーフレットを出されました。

 

NHKのくらし✧解説では最新のデータを伝えておられましたが僕はあまりの多さに驚きを隠せませんでした!平成21年12月から今年

平成25年7月迄の副反応(副作用)の件数はなんと!501件です。

 

全身の痛みや関節の痛み、ふるえ、痙攣や歩行困難などいくつもの

苦しみを今も抱えている少女たちがいます!!

 

ここからは僕の自論であり、僕自身の責任で書いており公共の機関や会、個人の考えなどを否定するものではない事を先ずお断りしておきたいと思います。

 

僕は、明日の事を心配してリスクを背負う可能性があるのであれば一考しワクチン接種を行なわない!という選択をとります。罹ったらどうするの!?という質問には罹った時に対処すれば良い!と僕は答えます。

 

将来を憂えるより今が大切であると考えています。重篤な副反応(副作用)を抱えられてしまった親御さんたちが一致団結し会を

起ち上げられました!(苦しむ子や家族を増やさない為に!!)

その意を無駄にしては申し訳ないと強く思うのです。

 

くらし✧解説の後半に解説員が子宮頸がんワクチンを接種していても完全には予防できない!事も伝えておられました。僕はそこを!

もっと強調するべきだと強く思います。

 

もう一度伝えたい!

 

テレビでやっていたからでなく!みなが行くからでなく!

〇〇ちゃんが打ったから私も行く!?じゃあなく!!

今行けば無料だからでなく!!!

 

何も考えずに流されないで!

一考、一助になれば!

 

 

 


manner.について!

今回は、スポーツ界から気になるニュースがあったので感じたままを書いてみたいと思います。

 

9月24日(火)東京有明テニスの森公園で行われた女子テニスの

東レ・パンパシフィック・オープン第3日で世界ランキング60位

クルム伊達公子(42)が、11年全米覇者で同ランキング17位

サマンサ・ストーサー(29)との2回戦で第2セットタイムブレーク1点目にダブルフォールト!!

 

ここで観客のため息に「ため息ばっかり!」と怒り!!集中力を切らし3-6、6-7で敗退した。試合後に「エネルギーを周りに吸い取られる」と呟いたそうです。

 

僕自身は、柔道と相撲!要するに日本のスポーツを学んできたので

(相撲は神道行事というべきかも?)礼に始まり礼に終わるという

礼儀作法をしっかりと身につけるようにと教えられました。

 

ここでいうmanner.マナーは態度。礼儀。礼儀作法。を意味します。テニスにおいてでも柔道や相撲と等しくmanner.は重んじられますが、大きく違いがあるところは戦う時間差だと思います。

 

柔道や相撲は長い事も稀にはあっても、ほとんど一瞬です。勝負が決してすぐに勝ち名乗りを受ける訳ですが、テニスは長くプレー中の全てに視線が集中!選手も観客も球の行方を逃さぬようにみぎひだり!離れて見てみると左右に観客の頭が等しく動いています!

 

選手や観客もプレーと一瞬一瞬を見つめて、次第に興奮状態に入っていきます。ミスがあった選手が、くやしさのあまり奇声をあげたりラケットを放り投げてしまうのを目にした事があると思います。

 

興奮状態が長くなると、こころのゆとりは無くなり理性をも保つことは難しくなってしまうのです。世界ランキング上位の選手であってもです。

 

得点を重ねたり勝利が決まった瞬間は、選手も応援していた観客も

一体となってガッツポーズ!興奮状態の中では相手側のため息など耳にも眼中にも入りません!

 

クルム伊達さんだけではなく、松岡修造さんもため息はやめてほしい!と訴えておられたと思います。エネルギーが周りに吸い取られるというのは的を得ています。相撲の場合!四つに組んで攻めるのは、相手の呼吸で息を吐いた一瞬を攻めるのです!それで勝敗は決します。

 

日本人の観客レベルが追いついていない!とクルム伊達さんは嘆かれたそうです。僕は、確かにそうなのかもしれない!と認めた上で

選手の思い込み!も強すぎるのではないだろうか?と思います。

 

僕は、日本人として守る事があると思います。それは、決してひと様のせいにしてはなりません!そのような見苦しい事をすべきではありません!決して口にしてはなりません!そのような子に育てた憶えはありません!と・・・・・・・・。

 

教育勅語を外し世界に目を向けさせ、日本人らしさを失い欠けている今!本当の日本人的な態度。礼儀。礼儀作法。をもう一度取り戻さなければなりません!

 

日本人の manner.がついてこれていないのではなく!応援し選手と一体になっているのです。日本人はネガティブなんだ!ではなく共に気持ちを共有する民族なのです!

 

応援している観客はあなた方の為に足を運んでいます。ため息をつくことのない素晴らしい!そして相手をも思いやるプレーを見せて

いや魅せてくださいね!

 

manner.(マナー)についての思い込みについて!と、素晴らしさを偉そうにも思うところを書いてみた次第です。(礼)

 

 

 

 

 

 

 


思い込みで視野を狭めるな!

昨日は、すべてお休みにしてのんびりと過ごしました。やはり名古屋は暑かった!いや従弟のおかげで熱かったのだろうと思いました。おめでとう!そしてありがとう!末永くお幸せに!

 

題名は『思い込みで視野を狭めるな!』というある意味厳しいものになっています。何故か!それは昨日放送の『八重の桜』から、気になること是あり!とばかりに書いてみようと思ったのです。

 

僕は一個人として、古くからある宗教はそれぞれに素晴らしく存在する奥深い意味があるのだと思っています。それぞれを等しく見る目やこころは、今を生きる人間にとって必要不可欠なことであると強く思います。

 

因みに我が家には、どっしりとした神棚と仏壇が初代からの信仰で大切にしています。古くからの教えで、神仏習合を表し先に書いたように奥深い意味を教え!伝えることであると僕は信じています。

 

さて、昨日の『八重の桜』には学校で今まで学んできた生徒の他に

熊本洋学校からクリスチャンの熊本バンドといわれた生徒が転校してきた。聖書を学び英語の流暢なことといえば比類なき!と、云わざるを得ないすばらしさです。

 

学んできた者と、学び始めた者との違いは傾きが大きいのは当り前であり、ひととして分かることであるはずが過激な熊本バンドの転校生は学び始めた学生を出来ぬ者と差別し、それでもついてこれぬ者を退学させるように要望書を提出!校長の新島襄も退任させ外国人を校長にせよ!ともう過激を通り越しやりたい放題。

 

そんな状況のなか新島襄が伝えた『こころの授業』が僕のこころに響きました。テレビだと分かってはいても今の僕のこころにはとてつもなく大きく綺麗な響きだったのです。

 

自分の考えは正しい!邪魔者は消えてしまえ!来るな!!といった状況の中で新島襄は、自分を愛するように隣人を愛せよ!ひとがひとを裁いてはならない!と、説きます。同志社では学ぶ事とこころを育てる場所であると。

 

思い込みから偏見の目で他人を見、言葉で攻撃するなど考えられぬことです。それは英語が堪能で、聖書を記憶しているだけに過ぎず聖書の教えを理解出来ていなかったのです。

 

ひとは完全ではなくその時に間違っていたのだと思うのです。

 間違っていたなら謝罪し、落着いてから戻れば良いと思うのです。

思い込みで視野を狭めてはいないか?僕自身!そのような、行いや振る舞いはしていないだろうか?ちょっと立ち止まってゆっくりと深呼吸してみたいと思います。

 

思い込みのおそろしさをあらためて教えてくれた今回の八重の桜でありました。ほんとにいつもありがとなし!だぎんじょ自分自身の思い込みは、さすけねぇか?