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大丈夫!子供の食事。

きのうのNHKあさイチで非常に良い事を取り上げていました。東京の三谷小学校の和食による食育です!

 

NHKあさイチのタイトルは「大丈夫?子どもの食卓」でしたが、拙ブログでは『大丈夫!子供の食事』としました。今からでも始める事によって健康な体作り!ひとづくりが出来るのですから・・・。さて、三谷小学校(さんや)では、給食に和食を取り入れ!その良さとおいしさに気づいた子がいます。朝食に菓子パンを食べていた男の子が、お父さんにお願いして和食の朝食を作ってもらい食べているのです。^^

 

これは校長先生のご慧眼だと思います。すばらしい教育者のもとにすばらしい人材が生まれます。和食以外の食事を否定しているのではなく!日本人本来の食事が、我々日本人のからだづくりにあっているのだと考えます。

 

食事の乱れというか!?からだに摂り入れる食物が合っていない場合には、物事に集中出来ない!キレる!といった症状が現れることもあると言われています。

 

食品添加物などにも気を配る必要があります。菓子パンや清涼飲料水は、和食と比較すると、食事として明らかな違いがあります。以前からもお伝えしている通り、和食!日本食が海外でブームになっています!然し乍ら、この日本では和食を積極的に食べていない現実がありからだづくり!ひとづくり!にもうひとつ不足を感じるのです。

 

こころの込められたお料理を前に!感謝して手を合わせ「いただきます」「ごちそうさまでした」これが今!日本人にとって、とても大切なことである!と、僕たちは考えています。

 

今!これを変えれば、きっとすべてが良き方向に流れます。

僕たちはそう信じています。拝、


散華(さんげ)

長野善光寺さま御開帳に行ってこられた患者さんに散華を頂きました。

八味唐辛子と共に!「ありがとうございます」^^

 

たくさんの参拝客で賑わう為になかなか前に進めなかったのではないかと推察致しましたが「良かったです~」と仰っておられたので僕まで嬉しくなりました。^^上の写真が頂いた「善光寺の散華」です。散華とは知ってはいても、一体どういう謂れがあるのかは即答できなかったので、改めて調べてみました。

 

          散華(さんげ)

 

仏や菩薩が来迎した際に讃嘆する為に大衆や天部の神により、華を降らせたという故事に因んで行われる。釈迦仏の前世である儒童梵士(じゅどうぼんし)が、燃燈仏に華を散らして供養した話などはその代表的な例である。

 

寺院で法要を厳修する時に、仏を供養する為花や葉を撒き散らす。

法要に散華を行なうのは、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させ道場を清めて仏を迎える為とされる。元来、蓮などの生花が使われていたが、現在では蓮の形を模った色紙で代用することが多い。

その形から分かるように蓮華を模っている。これは釈迦と深い繋がりがあり、葬儀など仏を供養する場で撒かれる事がある。この色紙を「花葩」(けは)という。

 

                     (Wikipediaより)

 

何とも奥深いものなのですね!2枚の散華が当院に舞い降りたので清められた感じに包まれています。清々しい風が動いています!!

すばらしい宝物をありがとうございます。拝、


いざらい!

昨日は、毎年恒例のいざらいに行ってきました。曇り空の中ではありましたが、河川の石や砂利などを取り除いていきます。担当した4人の連携プレーで、かなり溜まったものもスムーズに片付けていきます。

 

ひとによっては「いざらい」「えざらい」と呼ばれ!一体何のことやらサッパリ分かりません。ズバリ言えば!「田植えの前に行なう一斉川掃除」といったところでしょうか!?

 

また!こんな話もあります。こちらでは、子供が産まれると夏に海へ行き、海水につけます!子供が風邪をひかなくなるとされていますが、何故かもわからずに海に行くひともおられます。これは、禊(みそぎ)をしているのだ!と。稲作も神道行事であり、作付け前に河川に入り禊を行なうのだ!と。それぞれが知らず知らずの内に行なっているのだ!という。

 

何とも奥の深い話です。

 

でも確かに日本人は、日を決めて様々な行事を行なっています。

日本人には、誰も知らないもっと奥の深い話がありそうです!

僕はそう思います。

 

いざらいに参加されたみなさん!

ご苦労様でした。^^


こころがひとつになる日

今日!3月11日になりました。あれから4年が経過したのです!あの日!誰もが信じられない光景を目にしました。

 

目にしただけでも恐怖感が迫るわけなのですが!いざ、その場におられた方々に迫りくる現実は、言葉では言い表せないものであっただろうと思います。当日!宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民のみなさんに避難を呼びかけ続けた町職員遠藤未希さん(当時24歳)の「天使の声」は、今も僕の耳に残っています。

 

「大津波警報が発令されました!高台に避難してください!」

「6mの津波が予想されます!異常な波の引き方です!」

「逃げてください」

 

最後まで呼びかけ続けた遠藤未希さんの「天使の声」で、救われた命は多かったのですが、彼女の命は津波によって奪われました。以前にもブログで紹介しましたが「気仙沼線」というこころに響く曲の初めに彼女の生きた証があります。よろしければ「気仙沼線」を是非!お聞きになってください。

 

東北から関東までの被災は広範囲に及び、今も復興途中の地域もあり、まだまだこれからです。忘れてはならない!風化させてはならない!4年が経った今も強く!そう思います。

 

『3月11日は、日本人のこころがひとつになる日!』僕は、そう思います!合掌。

 

 


誉建神社春の大祭

3月10日は、誉建神社春の大祭でしたので行ってきました。午後2時から太鼓や笛が響き!その太鼓の響きは、胸の鼓動にも響き渡るくらいでストーブの火も揺れ動きます!

 

3月10日は、東京大空襲の日であるとお聞きしました!そして明日は、東北大震災の11日です!たくさんの命が失われました。何も起こらぬように皆で祈念致して参りました。みなさん!ありがとうございます。(一礼)


のぞみ5歳

NHK中部アーカイブスで29年前に放送された「のぞみ5歳」です。2月半ばに再放送されていて、大変懐かしく見ていました。

 

29年前に僕も見ていたのを思い出したのです!次に何が起こるのか!?どうなるのか!?何が語られるのか!?が、すべて頭の中に甦ってくるのです。盲目のご両親から生まれ、とてつもなく深い愛情を受けて育っていくのぞみちゃんとご両親の姿を見てわかってはいても、夫婦共々!大泣きしてしまいました。^^

 

のぞみちゃんが、遊びに来ていたお友達にしたことに対して、いつも優しいお父さんがご立腹!のぞみちゃんはきつく叱られてしまいました。「ごめんなさい言いなさい!」とお父さんに言われ「ごめんなさい」と言ったのぞみちゃんでしたが、納得できるはずもなく悔し泣きでお父さんに八つ当たり!お父さんの腕を叩いてしまいました。^^

 

いつも優しいお父さんが、初めて恐いと思った瞬間でした!子供の頃を振り返ってみると、『父に叱られたら母に助けを求める』その逆もありますけれど、のぞみちゃんはお母さんに助けを求め、傍に行くのですが、お母さんは素っ気なく外出してしまいます。

 

「お母さんごめんなさい言った」何度も何度も繰り返しながらお母さんの後を!靴を履くのも忘れて靴下のまま追いかけます。追いついたのぞみちゃんは、お母さんの左人差し指を握って抱かれています。

 

「のんちゃんはお父さんのことが許せないんだったら、一緒に暮らせないんだったら、どこか好きなひとの所で暮らしなさい!お母さんは、お父さんのことが大好きで離れられないの」・・・。

 

僕は、自分自身に置き換えて一考すると「お父さんにもう一度あやまりなさい」と、只それだけを言うと思います。然し!のぞみちゃんのお母さんは、先の言葉を投げかけられました。

 

『自律と我が家族』のあり方を5歳ののぞみちゃんに伝えておられるのです。僕は、29年前に聞いた言葉がず~っと耳に!記憶にあったのです。当時!僕は独身でしたが「すばらしい夫婦、親子関係だなあ」と印象深く残っていたのです。

 

「親の背中を見て子は育つ」29年後の現在!ご両親は60代になられ、僕たち夫婦を泣かせてくれたのぞみちゃんは33歳!二人の娘さんをもつお母さんになっていました。29年前の放送後に生まれた妹さんも入籍されたということで、3人家族が29年後に8人になられていました!おめでとうございます。^^

 

泣きながらそして良い笑顔をみせてくれた「のぞみ5歳」は、今の時代に、ひととして大切な何か大きなものを投げかけているような気がしています。「夫婦とは」「親子とは」「ひととは」僕は、あらためて感じるものがありました。

 

すばらしい!愛情いっぱいの子育て!というよりもひとを育てるということを、僕は番組を通して感じ取りました。

 

のぞみさんをはじめ、ご家族の皆さん!末永くお幸せに。

ありがとうございました。

 

追伸:素敵です。^^

 

 


霊峰立山の美!

山ガールの友人から霊峰立山山頂に御鎮座になられる雄山神社の鳥居から望む一枚が送られてきました。

 

あまりの美しさに!下界のアレコレが吹き飛ぶようです!

 

彼女は細身ですが、体力も気力もすばらしく!いつも感心しています。送られてきた美しくも神々しい一枚にこれからも皆さんと共に!すべてがすばらしくありたいと願うものです!本当にありがとうございます。拝、


節分祭・節分会

2月3日の昨晩!仕事を終えてから節分の豆まきをしました。我が家では「邪気は外!福は内!」と言ってお袋が作った大豆を撒きます。^^

 

そこで!こんな経験は初めてだったのですけど!!最後に玄関で「邪気は~外!邪気は~外!福は~内

!」と言った瞬間!何かスーッと身体や頭!家の空気がガラッと大きく変わったのです。妻も全く同じことを言いました。

 

「あれ!何かスッキリとした」と。神社では節分祭、寺社では節分会と呼ばれ、季節を分けることも意味しています。江戸時代以降は特に立春(毎年2月4日頃)の前日を指す場合が多いそうです。

 

邪気を祓うために節分には古くから豆まきの行事が執り行われています。宇多天皇の御代に鞍馬山の鬼が出てきて都を荒らすのを祈祷し鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという伝説が始まりといわれています。

 

鬼の頭の上の角は「うし」を表し!腰のトラの模様は「とら」を表し合わせて『艮』(うしとら)を暗示しています。

 

兎にも角にも!この行事が日本全国の家庭でしっかりと行われる事により様々な邪気を追い払い!皆が健康に!そして明るい世の中にできるという素晴らしい行事であると知るに至りました。

 

我が家の豆まきから感じた事をそのままお伝えし、日本人として疎かにしてはならないと腕を組み!ひとり頷くのでした。拝、

 

 


20年前の記憶!

今日は1月17日です。あの日の記憶は、20年経過した今も鮮明に頭の中に映像として残っています。

 

地震の来る10秒前くらいに何故か「ハッ!」として飛び起き!正座をしたところ、外から何台ものトラックが猛スピードで近づいてくる様な「ゴォー」っという何ともいえない『音』が聞こえてきます。「一体何ごとか?」と思った瞬間!『グラッ!ミシミシ!ユ~ラユラ!キュキュ!フ~ラフラフラ!ミシミシ!シーン・・・。』これは大変だっ!震源地はどこだ!?

 

当時の四角いブラウン管29インチのテレビのリモコンをONにして見てみても何も分からない!?只々、胸騒ぎだけが残るもののテレビは点けたままにして、再び情報を只管待っていました。

 

そのうちに徐々に情報が入るようになって、その映像を目にした瞬間!両手は床にダラリと落とし、ポカーンと口を開けたまんま腑抜けの状態で映像を見ていたのを今もハッキリと思い出します。

 

阪神のほか能登に新潟!奥尻、東北の津波を伴う巨大地震に長野と被災地と被災されたみなさまの悲しみ、抑圧されたお辛い生活を自分自身に置き換えて考えると!今日の黙祷では涙が止まりませんでした。

 

僕は思います。まだまだ復興途中の被災地が多く残っています。仮設住宅で生活をされています。何とかもっと援助をして、安心して暮らせるようにしてほしいと。

 

他国への援助はあとにしてでも先に!先に被災地を!被災者を!と強く願っています。『風化させてはならない』と宮城県の気仙沼線普及委員会のみなさんは教えて下さいました。僕も国民のひとりとして同じ気持ちでいます。

 

日本の日本人の底力!まだまだこれからです。

僕はそう信じています。

 

 

 

 

 


1月15日は小正月です。

今日!1月15日は小正月です。僕が住む富山県では1月25日に各家庭で行われる天神講まで、正月の行事として、大切にしています。

 

天神講のある福井県と富山県以外のところでは、今日15日の小正月でお正月の終わりであると聞いています。何か!?日の過ぎるのが早くて驚いている次第なのですが小正月ってどういう事なんだろう?詳しく知らないのでチョット調べてみることにしました。^^

 

     小正月

小正月とは、正月15日の行事のことで、14日から16日までの3日間、または14日の日没から15日の日没まで、または望の日(満月)または、元日から15日間ともされる。

 

元日を大正月と呼ぶのに対して、15日を小正月と呼んでいる。

小年、二番正月、若年、女正月、花正月とも呼ばれています。

 

なるほどなるほど!15日を小正月だと知ってはいても、詳しくは語れない50代の哀しき無能さに苦笑いしながら!?50代の若者としておこう!?みたいな・・・。

 

女正月とも言われているので、今日は妻にの~んびりとしてもらい小豆粥でも作ってみようかな!などと思っています。