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夏越の大祓と相撲。

恒例の神道行事『夏越の大祓』が厳かに行われました。日本国中の神社で今も続く伝統行事です。

 

茅の輪を立て、その輪をくぐり抜け半年間のけがれを祓い、正常な状態(清浄な元の状態)に戻すこと!一般的に無病息災を祈願することを指しています。茅の輪には、蘇民将来伝説が由来するものとお聞きしたことがあります。

 

以前にも相撲は、単なるスポーツではなく神道行事であると申し上げましたが、今回!夏越の大祓にてご説明させて頂ければ「なるほど」と言って頂けるのではないかと勝手に思いました。^^

 

立てた茅の輪を横にしますと、そのまま神聖な土俵になります。宮司さんは、そのまま行事となります。屋根には鰹木が乗った御正殿であり、注連縄はそのまま横綱の綱となるのです。

 

知らず知らずのうちに、わんぱく相撲や奉納相撲をはじめ、大相撲を見ているのは、もしかしたら!?けがれを祓い無病息災となって五穀豊穣をもたらす為の『大祓』なのではないでしょうか。


日本人らしく!

ワールドカップの日本の初戦は惜しくも敗れてしまいましたが、サポーターの皆さんの日本人らしい行ないが、混乱に向かおうとしている世界を温かいこころで『ホッ』とさせています。(感謝)

 

敗戦であっても、選手に大きな声援と拍手を送り健闘を称えます。そのあとの行動がネットで流れ広がっていったのです。日本人サポーターの皆さんが、ゴミを集め清掃をする姿を。

 

僕自身も忘れかけていた「大切なもの」をハッと思い出させてくれました。本当にありがとうございます。

 

世界中にこころの平安をもたらした日本人の行ないによって、紛争の火種を消し去る事も出来るのではないかと思います。

 

今回の何気ない!すばらしい行ないが、民族の違いがあっても共有出来るという勝ち点をもたらしてくれました。

本当にありがとうございます。

 

「日本人らしくあれ!」と大声で自分自身に叫びたい。

笑顔でそんな気分になったのでした。 


「はい」という言葉。

何気なく使っている言葉の本当の意味を、よくわからずに思い込みで使っているのではないかと、最近になって思うようになりました。

 

やっと出会えた『良書』から僕たち夫婦の思い込みや、社会的マインドコントロールが一枚一枚と、確実に剥がれいくのを感じています。

医学の事から、日本の国や日本人のあるべき姿の事など、さまざまな真実が非常に明快に書かれています。

 

春日大社元宮司であり、医学博士であられた葉室頼昭氏が遺された今を生きる日本人へのメッセージ!(ひとりでも多く伝えたい)

神道<徳>に目覚める(春秋社)より一部引用します。

 

(一部引用転載開始)

よく言うのですが、たとえば「はい」ということばがある。これをふつう人々は単なる返事だと思っています。英語のイエスが、そのまま日本語の「はい」だと思っている人がいますが、それはまったくの間違いです。「は」というのは、よみがえる、生まれるという意味です。

 

「い」というのは、いのちということばです。ですから「はい」というのは、いのちがよみがえってくるという意味の、すばらしいことばです。これが本当の日本語なんですね。

 

だから、いつも言うように、奥さんはご主人の言うことに「はい」と言いなさいと。私はいま「はい」の運動をやっているんですが、

何も返事をしろという意味ではありません。奥さんがご主人の言うことに「はい」と言うことによって、子供のいのちがよみがえってくる。そういうことばなんですね。

 

ところが、戦後の間違った男女平等とか、そういう考え方で、なぜ母親だけが「はい」と言わなければならないのか。そういう理屈を言い出したために、子供にいのちが伝わっていかなくなってしまった。しかし、「はい」というのは返事ではなくて、母親が「はい」と言うことによって、子供のいのちがよみがえるすばらしい言葉なんです。

 

ーーご主人に、「はい」なんて返事をすると悔しいから言わない。という話を聞いたことがあります。(笑)

 

それは今言いましたように、言葉を理屈で考えるから、主人の言うことに「はい」と返事したら、妻が夫より劣っていて、常に夫の言うことに従わなければならないという考えが起きてきたからです。

 

「はい」という言葉は、そんな理屈で説明できる言葉ではありません。

(一部引用転載終了)

 

「はい」という言葉がこんなにも素晴らしく、そして大切な意味が込められた言葉だなんて思いもしませんでした。只々、驚きです。

「はい」という言葉をもう一度こころの辞書に刻み、使わせて頂きます!という、何故か感謝の思いでいます。(礼)


日本人としての誇り。

大相撲五月場所千秋楽の白鵬を祝う表彰式は、国歌斉唱(君が代斉唱)が、全員起立にて行われました。

 

我が家のテレビ桟敷でも、正座をし姿勢を正して、共に行ないました。

 

早朝のNHK「日の丸と君が代」が流れても何故か姿勢を正しています。小さい頃から今も変わらずに。

 

オリンピックや世界大会などで、日本人が活躍し頂点に立った時の

「君が代」は、立てなかった選手も国民も同じ気持ち(胸のふるえる思い)で、日の丸を見つめ「君が代」を涙ながらに歌います。

 

我が家に迎えた葉室頼昭氏の良書の中に、僕が思っているまま!そのままが書かれていましたので一部引用致します。

 

(一部引用転載開始)

      ーいのちのないものは滅びるー

あるとき、日本の学生がアメリカの学生を招待して交歓会を行い、音楽を演奏して歓迎したそうです。その中で、日本の学生がアメリカの国歌を演奏し始めたそのとき、会場のアメリカ人がいっせいに立ち上がり、直立不動で聞いたというのです。日本人の学生はそれを見てびっくりしました。

 

日本人は「君が代」が聞こえても誰も席を立ちません。この差なのです。この母国に対する誇り。アメリカ人は、国歌というものは誇りをもって直立不動で聞くべきものだと思っているから、いっせいに立ち上がるのです。

 

日本人だけです。国歌が流れてきても平気な顔をしているのは。

 

伝統を受け継いで、それを子供に伝えようとするのが命です。これが今の日本人にはありません。伝統や誇りというものを受け継いでいないのです。ですから命がありません。命がないものは滅びるというのが大自然の鉄則です。

(一部引用転載終了)

 

僕は思うのです。自分たちの住んでいる日本というすばらしい国に凛とした日本人としての誇りを持とうと!一昔前の日本人に戻るべきではないのかと!

 

この国と日本人には、やらなければならない事がまだまだたくさんあるのです。滅んでしまっては決してなりません。

 

自分自身と愛する家族に、もう一度言い聞かせる思いで記した次第です。拝、

 

 


原点に帰ろう!

先日、友人から田植えを終えたあとの水面に映る神社の美しい姿が送られてきましたので、日頃の感謝の意味を込めて載せました。ありがとうございます。(礼)

 

日本人にとってなくてはならないお米は稲

(いね)にたわわに実ります。春日大社前

宮司の葉室頼昭氏は(いね)とは、命の根

のちの、であると。これは正にすべて僕のこころに心地よく入ってきました。ありがとうございます。

 

前ブログで紹介した良書の1冊の『はしがき』に僕たちが今!大切に考えているその通りのことがありました。胸の高まる思いです!

神道<徳>に目覚める。の『はしがき』より引用致します。

 

(引用転載開始)

現代の日本の姿を見ていますと、企業では汚職、倒産などが毎日のように見られ、また理由なき凶悪な犯罪が、毎日のように日本のどこかで起こっています。また、若者の横暴は、目にあまるものがあり、他人の迷惑など少しも考えず、自分勝手な行動をしています。

 

これは、日本の国始まって以来の乱れた姿ではないでしょうか。どうしてここまで、日本の国は堕ちてしまったのでしょうか。これはもちろん、戦争に敗れ、日本の過去の歴史や伝統を否定し、日本の過去はすべて悪いものである。日本人は劣った民族であるという考えにマインドコントロールされて、なにごともアメリカ一辺倒で物質万能、知識だけの教育を行い、政治は経済発展など目先のことだけに明け暮れ、学校教育はただ知識だけを与え、いい学校に入り、

いい会社に就職することのみを、われわれが行なってきた結果でありましょう。

 

日本の祖先たちが伝えてきた、日本の国をよい国にする、また、よい人間を育てるということを全く忘れはてて、半世紀も過ぎてしまった結果、当然なるべくしてなった日本の姿なのです。

 

、中国や朝鮮から文明が輸入され、その当時の若い人々がそれに没頭して日本本来の姿を忘れたため、原点に戻らなければいけないと『古事記』が記されました。また、江戸時代、武士たちは儒教の思想にあまりにも深く感化され、これまた日本本来のこころを忘れてしまったので、日本人の原点に戻らねばならないと、国学者・本居宣長が『古事記伝』を書きました。

 

このように過去にも、たびたび日本人の原点に帰ろうとした歴史があります。しかし、現代の外国一辺倒の姿は、そうした昔とは比較にならないほどの乱れ方です。このままでは、日本の国ばかりか、

日本人の滅亡にさえつながりかねない、きわめて重大な事態だと思います。

 

それゆえ、今こそ祖先の行なってきた「徳」に目覚め、立派な人間を育てる教育に目覚めなければなりません。目先の我欲を捨てて、

日本の国の幸せ、そして自分以外の幸せ、すなわち神さまや祖先、そして周りの人々の幸せのために生きる人生に、本当に目覚めなければならないと思います。本書が少しでもそのために、お役に立つならば幸いです。

(引用転載終了)

 

今のこのような世の中で良いはずはない!と、僕たちは考えています。一昔の日本の姿を戻し、そのなかで生活してみたい!と、何故か不思議と思い続けています。拝、

 

 


良書を迎えて。

先日、高岡市の文苑堂本店にて良書を手にして、こころが震えました。

 

『ようやく出会えた』!!

 

医師であり、宮司であられた著者は葉室頼昭氏。葉室姓と知った僕は、どういう方であるかをすぐに理解致しました。(礼)それはまたいずれお伝えしたいと思います。

 

帯にはこう書かれています。『日本人の美しい暮らし方』と。僕は拙ブログのカテゴリーのひとつに『日本人らしく』を設け、先人から受け継いだ日本人らしい生き方をもう一度取り戻したいと思い、自分自身に言い聞かせる意味で記していますが、正にそのすべての答えが此処にあるのです。

 

以下、良書の紹介です。

 

・春日大社前宮司 葉室頼昭著 春秋社刊

  神道のこころ

  神道と日本人

  神道感謝のこころ

  神道<徳>に目覚める

  神道こころを癒し自然に生きる

 

この5冊の中には、今必要なこと『真実』が、実にシンプルに書かれています。正に目から鱗であります。

 

良書を迎え日本人として襟を正し、世のためひとのために、あらためて働きたい!と、偉そうにも思った次第です。拝、


奉安殿のこと!

今回、またしても古くて珍しい写真を発見してしまいました。

 

奉安殿落成記念という事で僕の祖父のたった一枚の写真なのです。

 

それよりも奉安殿って何ですか?という声が聞こえてきそうなので、調べてみました。知りたいと思ったらすぐにでも調べるのが僕たちの方針なのです。最近!忘れっぽいので特に・・・。(笑)

 

奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物である。

 

御真影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の1910年代であり、奉安殿の成立もその時期と推測される。(小学校の奉安殿建築は1935年頃に活発化)また学校への宿直も、この御真影の保護を目的として始められた面もある。

 

四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼を奉る事と教育勅語の奉読が求められた。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。

 

日本が第二次世界大戦で敗れた年の1945年(昭和20年)12月15日

GHQの神道指令の為、奉安殿は廃止された。奉安殿の多くは、戦後に解体もしくは地中に埋められ、御真影も全て奉還された訳ではない。然し乍ら、解体を免れた奉安殿は現在でも全国各地に少数乍ら残っており、倉庫として使われていたり、荘厳な外観を生かして神社や納骨堂に転用されていたりする。また沖縄の旧美里尋常高等小学校の奉安殿は半壊乍ら「戦争遺跡」として文化財に登録されている。戦前に建築された古い校舎、講堂を持つ学校では、校舎内に設けられた「奉安庫」が残る所もある。

 

奉安殿は、校舎内に作られる事も、校舎外に独立して作られる事もあったが、何れも校長室、職員室、宿直室、その他に近い清浄な位置に設けられる事とされた。その内寸は最小で奥行85cm、高さ1.5

m、幅1.2mは必要であるとされた。構造は鉄筋コンクリート造り

壁厚さ25cm以上、片開または両開の完全な金庫式二重扉を設け、耐震耐火構造とし、内外防熱防湿の為に石綿材料を施し、内部はさらに桐、または檜板張りとし、御真影を奉安する棚の高さは50cm程の処に設ける事とされた。

(Wikipediaより)

 

最近思うのですが、逢うひとすれ違うひとと挨拶を交わすのは、山に居る時くらいなのかな?と。下界に戻ると挨拶もそうですが、ひとに逢わないようにしている場合も。

 

奉安殿と祖父の写真を見て、時代の流れと共に、ひとは今の流れで本当に良いのか!という事を感じ、こうして記している次第です。


丁度よい!

6日のお休みに掃除をしていましたら、一枚の書が目に入りました。

僕たち夫婦の友人で以前の拙ブログ『笑う門には福来る!」で紹介したマー君直筆の書が大切に保管されたまま、年月を経過して先日、現れたのでした。^^

 

改めて見てみると!何とも言えない文言なので妻とふたりで読み上げてしまいました。マー君に「これ!誰の言葉なの」と妻が聞いたら御神酒を頂いてごきげんな彼は「了寛さん、荒了寛さん」と教えてくれたそうです。^^

 

丁度よい!よりも、凄くよい言葉でしたので以下、お伝えします。

(引用開始)

 

      丁度よい

君は君で丁度よい 顔も躯も名も性も そのまま君に丁度よい

君の連合お釣り合い 他の誰よりよく似合う ずっと君に丁度よい

親も先祖も子も孫も 嫁も舅も親類も みんな君に丁度よい

幸も不幸も貧も富も 運もふ運も巡るもの 自慢はするな卑下するな 他人を較べ羨むな 君の地位や財産は 君の器量に丁度よい

君の生きた人生は 誉めも出来ぬが悪くもない 君にすれば丁度よい 病を得たらその病 君の為に丁度よい 死ねば死んだでその時は 早くもなければ遅くもない 君にとって丁度よい あとは地獄か極楽か 着いた所が丁度よい 生まれ変ろがそのまゝ居よが

どちらも君に丁度よい 何が起ろとどうなろと 腹を立てるな落ち込むな 先まで思い煩うな 常の君が丁度よい 神も仏も天も地も

時の流れも光陰も 君が生きるに丁度よい 君が眠るに丁度よい

(引用終了)

 

荒 了寛(あら・りょうかん)

1928年 福島県生まれ

現在 天台宗ハワイ開教総長としてハワイ在住

 

実は以前から、了寛さんの絵や言葉が大好きで柴田接骨院の待合室

にさり気なくあるのです。然し、さり気なくのはずなのに存在感が大きいです。^^

 

本当に言葉は、日本人として綺麗に大切に使いたいなあ!と、妻とふたりで感じ入った次第です。拝、

 

 

 

 

 


美しさを持った王者!

昨晩は久しぶりに民放を見ました。妻が「ボクシング見る?大好きな長谷川穂積が闘うよ」と教えてくれました。

 

僕は、長谷川穂積さんが何故か大好きで、試合の度にその強さと、真の王者が持っている『格』に惚れ込みました。

 

然し乍ら今回の試合は、妻に聞くまで気づいていませんでした。今までだったらそんな事は皆無だったのに。大阪城ホールでの世界戦の初戦!相手はスーパーバンタム級の王者スペインのキコ・マルチネス(28)長谷川穂積さんは同13位です。

 

3階級制覇をかけての試合でしたが、残念乍ら7回TKОで敗れました。僕は、試合を見届けた後に正座をして拍手を送りました。彼のボクシングの美しさは比類なきものでした。

 

今までの試合を思い出しても、他のボクサーには無い美しさが僕の頭の中に映像として浮かび上がります。相手のダウンを見たあとにコーナーに戻り相手を待つスタイルが『正に王者の風格!チャンピオンとはこういうひとだ』と。

 

負けた相手を執拗にいたぶる行為は、日本人として恥ずべき行為であります。長谷川穂積さんは日本人として『凛』とした美しさを持った王者!真正のチャンプであったとこころから思います。

 

親に孝行し家族を守り抜く姿は、忘れかけていた日本人の魂を奮い立たせてくれた!と僕は強く感じます。

 

チャンプ長谷川穂積さん!

ありがとうございました。(礼)


美しく、まっすぐなひと。

美しい花桃の写真が、友人から送られてきました。お勤め先で頂いたそうでしっかりと根付いています。

 

花を鑑賞する目的で改良された桃で、結実はするものの、実は小粒で食用には向かないという。僕的には甚だ残念です。^^

 

上に真っ直ぐに伸び、きれいな花を纏う姿は日本人として惚れ惚れする思いがあります。STAP細胞の存在は

『知るひとぞ知る』事であり、撤回されようが『有るものは在る』

と言っているようです。

 

総理大臣が顕微鏡を覗いている姿をNOBELの山中氏が、後ろで見ている!という写真が世の中に出ています。無いものを覗いている訳は無いと僕たちは思っています。

 

STAP細胞が世の中に出てくると、難病で苦しむたくさんの方々に笑顔になって頂けたのに・・・・。

 

世に出ては困るかのような撤回劇!?

 

小保方さん!あなたはそのままで・・・。

凛とした花桃のように美しくまっすぐであれ。

わかっているひとはたくさんいます。拝、