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旅立つ君へ

自衛隊に入隊するこうちゃんが挨拶に来てくれました。午後からの診療が始まっていたので、ゆっくりとした時間が取れなかったのですが、僕たちの思いは、充分に伝わっているものと思います。僕は、涙は見せないつもりだったので、高瀬神社のお守りを手渡して仕事に戻りました。

 

あとは妻が見送ってくれましたが、僕はやっぱり涙が止まりませんでした。「こうちゃん!がんばれぇ~っ!いつでも連絡待ってるよぉ~」^^


神恩感謝

昨日は、春分の日でしたので、いつもお世話になっております越中一宮高瀬神社に参拝してきました。久しぶりの参拝に、こころが穏やかに、そして清々しくなりました!ありがとうございます。

 

また功霊殿にも参拝して、自衛隊へ入隊する!こうちゃんのことを報告とお願いを申し上げ、巫女さんにお守りを頂いて参りました。ありがとうございます。

 

『神恩感謝』に何故か涙が溢れるのでした。

「本当にありがとうございます」

「こうちゃん!がんばれぇ~」

柴田佳一 拝、


誉建神社春の大祭

本日午後2時より、誉建神社春の大祭に参拝させて頂きました。天候にも恵まれ、昨年よりもたくさんの方々が参拝されました。この良き流れで五穀豊穣、みなが健康で過ごせますようにご祈念申し上げて参りました。ありがとうございます。(感謝)


貴方を誇りに思います。

富山県内の自衛隊入隊、入校予定者の激励会が昨日4日、富山市の富山国際会議場で開かれ、予定者60名が決意を新たにしました。

 

小さな頃からいつも来ていた子が高校を卒業し、昨日国際会議場にて激励を受けました。長男である為、親御さんから入隊をあきらめるよう話をしてほしいと相談がありました。

 

現在の世界の状況を考慮してみますとやはり!自衛隊のことはこれから注視されることは間違いなく、そのことも勿論、彼に伝えましたが、彼は僕に言いました。

 

「子どもの頃に東日本大震災がありました。僕はあの大変な状況のなか、必死になって救助に当たっておられる自衛隊の方々の姿を見て、将来!自衛隊に入ると決めたんです」と。

 

「はっ!ううぅっ・・・・・・・・・・。」(号泣)

「こうちゃんごめん!僕は間違っていた」僕は18歳の余りにも大きな夢と考えに感動し、自分自身を恥じ、涙しました。

 

自分のことが中心になっているように思える今の世の中に、このような考えを持つ若い力を大切にしたいと強く思います。これは僕等の年代に託されたことだと思うのです。

 

「こうちゃん!僕は貴方を誇りに思います」

柴田佳一 敬礼。

 

 


誉建神社の雪割り

早朝6:00から誉建神社の雪割りに行ってきました。10日には、春の大祭が行われますので氏子は皆!力が入ります。押し集めた雪は固く、融けにくいのですが、今日の気温は約20℃まで上昇するとの事なのでうれしい限りです。10日(土)の大祭には参拝させて頂きたいと思います。ありがとうございます。そしてみなさん!ご苦労様でした。^^

 

 

 


島津斉彬公

日本最古の銀板写真に写った藩主島津斉彬公です。現在放送中の西郷どんでは、世界の「渡辺謙」さんが演じています。

 

島津斉彬(しまづなりあきら)文化6年~安政5年1809~1858薩摩鹿児島藩主。お由羅騒動ののち、藩主となる。富国強兵・殖産興業政策に努め、日本唯一各種製造工場(集成館)の建設、造船事業にも力を注ぎ込み、幕末における薩摩藩の海軍力は他藩を寄せつけなかった。正に名君の筆頭だと僭越ながら思います。


凸凹道で

ようやく雪も解けだして、車の走行も順調に進むようになりました。近道をしようと考えて、とんでもない凸凹道に入り込んで大後悔!

 

「あ~ぁ失敗したあ~っ」と言いながら、大きく揺られながらゆっくりゆっくり進んでいきます。「おっと!こんな狭い凸凹道で対向車が来たぞっ」僕の車の前に雪の塊りがあったので、止まって待っていました。軽四のご夫婦は、すれ違い際にステキな笑顔で会釈されました。こちらも右手をあげて頭を下げました。^^

 

何台すれ違ったかは分かりませんが、皆さんが道を譲ったり、譲られたりしながらゆっくりと進んで行くのです。何かこころが温かくなり、何故か優しい気持ちになりました。

 

凸凹道を走るのは正直!嫌でしたが、凸凹道を走って気づいたことは、今の世の中で忘れかけた日本人の大切なもののような気がしてなりません。「通って良かった凸凹道!ありがとうございます」

 

柴田佳一 拝、


左義長(さぎちょう)

柴田接骨院の後方にある若林グランドに『左義長』が立ちました。若林公民館審議委員の皆さんと有志の皆さんが今朝!大雪の降る中、ご尽力されたものです。(大感謝です)

 

今回は、この『左義長』についてお伝えしたいと思います。この呼び方は、京都・北陸で左義長と呼び

九州では、鬼火焚き、あとの日本全国ほとんどが、どんと焼きと呼ばれているようです。

 

さて、左義長は小正月の火祭りで、古くは『三毬杖』と書いた。宮中では正月15日と18日に清涼殿東庭に毬杖(ぎっちょう)を三本立て、歌い囃しながら焼いたことに由来している。本来は供物を焼きあげ、新年の祈願をささげる行事らしい。

 

『毬杖』とは、子供遊戯の一種。槌形の杖に色糸などを飾りつけ、これで木製の毬を打ち合い、早く中央の一線を越して相手陣に毬を打ち込んだ者を勝ちとするもの。

 

ということは、さぎちょうさんぎっちょうだったんですね!?

 

僕たち北陸の一部には、京都の名残りがいくつか見られます。今月25日の『天神講』などもそのひとつなのです。

 

何~にも知らないのに、知らず知らずのうちに小さい頃から行事に参加している日本人って、何か本当に凄いです!

 

柴田佳一 拝、

 


今年もよろしくお願いします。

 

地元の誉建神社にて元始祭が2日執り行われ、参拝してきました。今年もよろしくお願いします。

柴田接骨院 院長 柴田佳一 拝、


日本人の魂を揺さぶる日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は、12月14日です。『義士祭』が盛大に行われることで有名ですね。赤穂で行なわれる「義士祭」は今回で114回目の開催で、大石内蔵助役は「中村梅雀」さんとお聞きしています。お似合いですね!一方、義士のお墓がある東京港区の泉岳寺でも『赤穂義士祭』が行われ、主君に忠誠を誓った47人への盛大な法要が執り行われます。何年経過しようが、日本人の魂を揺さぶる12月14日です。

 

僕も今日は「討ち入り蕎麦」を頂きたいと思います。

合掌。