自衛隊に入隊するこうちゃんが挨拶に来てくれました。午後からの診療が始まっていたので、ゆっくりとした時間が取れなかったのですが、僕たちの思いは、充分に伝わっているものと思います。僕は、涙は見せないつもりだったので、高瀬神社のお守りを手渡して仕事に戻りました。
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ようやく雪も解けだして、車の走行も順調に進むようになりました。近道をしようと考えて、とんでもない凸凹道に入り込んで大後悔!
「あ~ぁ失敗したあ~っ」と言いながら、大きく揺られながらゆっくりゆっくり進んでいきます。「おっと!こんな狭い凸凹道で対向車が来たぞっ」僕の車の前に雪の塊りがあったので、止まって待っていました。軽四のご夫婦は、すれ違い際にステキな笑顔で会釈されました。こちらも右手をあげて頭を下げました。^^
何台すれ違ったかは分かりませんが、皆さんが道を譲ったり、譲られたりしながらゆっくりと進んで行くのです。何かこころが温かくなり、何故か優しい気持ちになりました。
凸凹道を走るのは正直!嫌でしたが、凸凹道を走って気づいたことは、今の世の中で忘れかけた日本人の大切なもののような気がしてなりません。「通って良かった凸凹道!ありがとうございます」
柴田佳一 拝、
柴田接骨院の後方にある若林グランドに『左義長』が立ちました。若林公民館審議委員の皆さんと有志の皆さんが今朝!大雪の降る中、ご尽力されたものです。(大感謝です)
今回は、この『左義長』についてお伝えしたいと思います。この呼び方は、京都・北陸で左義長と呼び
九州では、鬼火焚き、あとの日本全国ほとんどが、どんと焼きと呼ばれているようです。
さて、左義長は小正月の火祭りで、古くは『三毬杖』と書いた。宮中では正月15日と18日に清涼殿東庭に毬杖(ぎっちょう)を三本立て、歌い囃しながら焼いたことに由来している。本来は供物を焼きあげ、新年の祈願をささげる行事らしい。
『毬杖』とは、子供遊戯の一種。槌形の杖に色糸などを飾りつけ、これで木製の毬を打ち合い、早く中央の一線を越して相手陣に毬を打ち込んだ者を勝ちとするもの。
ということは、さぎちょうはさんぎっちょうだったんですね!?
僕たち北陸の一部には、京都の名残りがいくつか見られます。今月25日の『天神講』などもそのひとつなのです。
何~にも知らないのに、知らず知らずのうちに小さい頃から行事に参加している日本人って、何か本当に凄いです!
柴田佳一 拝、
今日は、12月14日です。『義士祭』が盛大に行われることで有名ですね。赤穂で行なわれる「義士祭」は今回で114回目の開催で、大石内蔵助役は「中村梅雀」さんとお聞きしています。お似合いですね!一方、義士のお墓がある東京港区の泉岳寺でも『赤穂義士祭』が行われ、主君に忠誠を誓った47人への盛大な法要が執り行われます。何年経過しようが、日本人の魂を揺さぶる12月14日です。
僕も今日は「討ち入り蕎麦」を頂きたいと思います。
合掌。